剥き出しの心は服を纏っていない体と同義なのではないか?
いまは仕事中です。
なぜ仕事中に書いているのか。
書きたいという衝動に駆られたから。
なぜ仕事中に書いているのか。
「後で書こう」は『書かない言い訳』を探して結局残さなくなるから。
なので仕事中ですが「今」書いています。
もちろん仕事はほったらかし、、、ではないです。
並行してやっていますので怒られることはない。はず。。。
見つからないように、見つからないことを願いつつ
どうしても残しておきたいので書きます。
最近 SUPER BEAVER というバンドばかりを聴いています。
youtubeで視聴もしています。大好きです。
この人たちを聴いて感じたことがタイトルです。
なんでこんなことを感じたのかというと、
『閃光』って曲の歌いだしがですね
あっという間に終わってしまうよ
10年なんて20年なんで
という歌詞で始まるんです。凄くないです??
この曲を最後まで聴くとその人の『年齢』や『今の状況』によって
曲へのアプローチや距離感がかなり変わってくると思うんですよ。
僕は、いったんこの曲と距離を置きました。
そう。逃げました。
それまで僕にとって音楽とは幻想や空想だったんですよ。
エンタメ小説のような。アニメのような。
どこか自分とはかけ離れた場所にあるもの。
自分の生活の中にはあるけど自分を形成する確固たるものではない。
それがこの曲ときたら…
見事に現実を突きつけて僕の世界をぶっ壊してくれました。
・やっているようにみせて満足している自分
・やらない理由を見つけて逃げている自分
・明日やろうは空を飛んで雲のかなた
この曲はそんな忸怩たる思いを感じることなく逃げていた自分の心に
一本の旗を刺して大きなクレーターを作ったんです。
旗のせいで気づいていたけど見ないふりをしていたものが視界に入るようになったんです。
おかげで今までよりちょっとだけ音楽が近くに感じてしまったんです。
「おかげ」と言いながら「しまった」というジレンマは感じつつもね。
そんな忸怩たる思いを感じてしまった僕ですが
この歌詞を書いた人、というかこのバンドは
そんな思いを常に感じているのでは?という疑問を抱きました。
音楽聴いてそんなこと考えたの初めてです。
この人たちは心を剥き出しにして、されて、強くなっていったのかな?
けどそれって途轍もなく過酷でとても耐えられるものではないのでは?
まさに服を纏わず裸でいることと同義なのでは?
でもだからこそ
ドラムは心臓を鳴らし
ベースは体を震わせ
ギターは脳を支配して
ボーカルは魂に触れてくる
そんな感覚に襲われるバンドなんじゃないかと感じてます。
字面にすると悪魔のようなバンドですが本当に好きなバンドです。
いつかこの曲としっかり向き合える日が来るように
残ってる仕事頑張ります。。押忍。
拙い文章ですがご一読いただいた『あなた』へ、ありがとう。
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