僕が今聴きたい曲

音楽を聴いていると、楽曲ごとにそれぞれの役割があるような気がする。
自分のお気にりの曲で例えるとしよう。

先日も別の記事で記した「tuki.(15) - 月面着陸計画」だが、最近はテンションをあげるためにこの曲を聴いている。
楽曲のテンション感ももちろん高いのだが、歌詞の前向き感と、宇宙へと旅立つ歌詞の高揚感が仕事に行くぞという時にとても心を奮い立たせてくれるのである。というのも、この曲の一番のポイントはキャッチーなメロやリズムはもちろん、歌詞の引き出しの多さだと思う。
「引き出しの多さ」とは ●ジャムでいしわたりなんとかさんがお話しされていた、その歌詞を聞いて自分の思い出や経験をその歌詞にリンクさせられるかどうか、というものである。
「宇宙へ飛び立つ」という楽曲のストーリーの中で、いろんな人が抱える思いや悩みを連想さえるようなワードがふんだんにちりばめられており、この曲を聴いたら「今いる場所からもっと素晴らしい場所に、世界へ飛び出していけるのではないだろうか」という気持ちになるのである。
なのでまずは聴いてみてほしい。

一方、こちらは我らが「The Otals - ドラゴンなんだって」である。
これはドリームポップ、シューゲイザーポップの最高峰である(異論は認めるが俺はこっちが好きだ)。
内容は「実は自分が(友達が)ドラゴンだった」みたいなそんなことないやろ的な世界観なのだが、それもまったくの「オラーイ!」なのである。
この曲は自分の気持ちがすごいいい感じの時にしか聴きたくない曲だ。
それはなぜかというと、「実は自分が(友達が)ドラゴンだった」という内容を聞くときに自分がポジティブじゃないと「あいつがそんなわけねぇだろ」とか「俺もドラゴンになりたかった(絶望」みたいな感情になってしまうからだ。
というのは嘘なのだが、これほどまでにポップで限定的な世界観(これは褒め言葉である)がある曲を聞く時は自分の心の平穏が大切なのである。
この楽曲を本当に楽しめる感情で聴かなければ、この曲の最高な部分を感じとれないのだ。
いわゆる、「失礼にあたる」という感情なのだろうか、生半可な気持ちでこの曲を聴いていないのである。
いや、それはアーティストにとって不本意であるかもしれない。こういう能天気な(失礼)を聴いて何も考えずに笑って楽しく聴いてほしいという意図もあると思う。
でも、僕はこの曲が大好きなので悲しい気分の時に聞くと、素直にこの曲を聞けないことが、別の曲を聴きたいと思ってしまうことが許せないのである。

なんか色々書いてきたが、とりあえず酔っ払っているので僕はこの曲を聴いて嫉妬することにする。

やっぱり米津は天才だよな。
いや、tuki.(15)もThe Otalsも天才なのだ。

僕のために曲を作ってくれてありがとう。
おかげで生きていられます。

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