stillness of the night
自由であることが
不自由では無いとは思わない
母はおらず
父も留守がちで
1人で過ごす時間は
確かに自由だけれど
満たされない長い時間は
自由なんかじゃなかった
居心地が悪く
何かに縛り付けられているような
不自由さを感じていた
海外にいる時も
電話をかけてくれる父
時折会える
母らしい人は
DVDを再生すれば
いつでも見る事ができた
けれど
いつか絵本で見たような
家族というものとは
ほど遠い
寂しいとか
悲しいとか
そんな気持ちを
手放したのは
いくつの時だっただろう
考えても仕方がない事
そう悟ったのは
かなり早い時点でだったと思う
考えても
求めても
何も変わらない
それを知ったから
テレビの中で
母は笑う
けれど自分と会う時
母はいつも
きつい表情で
抱きしめられる事も
頭を撫でられる事も
なかった
それでも
いい子でいれば
母の言う事に応えれば
何かが変わるかもしれないと
抱いた期待は
何度も裏切られたから
母が笑う
あのシーンを
また
再生する
テレビの画面に
近づいて
その頬を撫でてみる
温もりは無い
視線も自分をとらえない
少し涙が出て
画面の中の母が揺れる
そこで目覚めた
子供の頃の夢を見るのは
久しぶりだった
ぎゅっと
胸を締め付ける感情を
手放すのは
容易だった
何度も
何度も
繰り返してきた事だから
自由だの不自由だの
愛されているだのいないだの
もう
どうでもいい事だ
目を閉じる
けれど
眠れない
沸々と
心の奥深くで
怒りの感情だけは
消えないから
もはや
怒りの感情しか
もたらさなくなった母
眠れない
深夜ではあったけれど
眠る事を諦めて
五線紙に
鉛筆を走らせる
音符なら感情は
うまい具合に
溶け込んでくれる
悲しくても
苦しくても
怒りが滾っていても
それは
美しい音になる
歌詞をつける事の
できない曲が
完成し
鉛筆を置く
幾分落ち着いた
感情
唯一
母に対して
怒りの感情だけは
手放せない自分
そして
怒りの
その
反対側にある
感情
それが何を意味するのか
本当は
知っている
いつまで経っても
自由になれない自分
こんな大人になってもなお