水中写真と構図について考える⑩ ~構図のセオリーを外すという発想~
こんにちは、上出です。
今日は構図コラムの第10回です。
ついにやって来ました、最終回。
気合入れていきましょう。ちょっとだけ。
最終回は事前の質問でもいただいていた、「構図のセオリーを外す」ということについて考えていきたいと思います。
■「外し」を考える前に
いきなりですが、血糖値に例えてみましょう。
下の値は、僕が10年くらい前に測った血糖値です。
「空腹時血糖値70、食後2時間後血糖値250」
この数字を見て、正常値だか異常値だか、わかりますか?
僕は元々糖尿病治療薬の会社にいたのでわかりますが、分からない方のほうが多いはずです。
「正常」がわかっていないと、「異常」はわかりません。
だから、どんな分野でもまずは基準を学び、それから「外れている状態」について考えるのです。
ちなみに、空腹時血糖値70は正常、食後2時間後血糖値250は異常(糖尿病型)です。
■構図の基準
では、構図の基準とはなんでしょうか?
という話をここでほじくり返す気はありません。
何故かって、まさにこれまで学んできたことが構図を作る上で基準となる考え方、すなわち構図のセオリーだからです。
もちろん、僕の主観的な意見とか、世の中では一般的でないような考え方も紹介してきましたので、全部が全部セオリーとは言えないかもしれません。
でも、線の意味や使い方、奥行きや余白の活かし方なんていうのは、構図を考えるうえでの重要な要素です。
今回の連載では詳しく触れませんでしたが、日の丸構図とか三分割構図なんていうのは、まさにセオリーですね(セオリー過ぎてあえて触れなかった)。
ここまでついてきてくれた皆さんは、すでに構図の基本(基準)を押さえていると言っていいでしょう。
■何のために構図について学んできたのか
連載第1回「水中写真と構図について考える① ~構図の優先順位~」の冒頭で、こんな話をしました。
「生まれながらセンスの良い人なんてほとんどいない。構図を学ぶということは、センスを後から身に着けるということだ。」
これは色んなところでしている話ですね。
僕自身、ずっと自分にはセンスがないと思って生きてきましたし、今でもいわゆるアーティスティックなセンスはないと思っています。
だから、構図についても自分なりに勉強してきました。
そんなことをブログの自己紹介にも書いているので、良かったら見てみてください(2021年に書き直しました)。
構図を学ぶことで、センスのいい水中写真が撮れるようになる。
そして、自分の思いを写真に乗せやすくなる。
構図って、そういうものだと思います。
■構図を整える理由
ここまで構図について9回も学んできたわけですが、結局のところ何をやっていたのかと言うと…これでもかってくらいに単純化しちゃいましょう。
僕たちは「バランス」を取るためにあれこれ考えてきたんです。
「バランス」という言葉だと少し表面的なイメージがあるかもしれませんので、「調和」という言葉に置き換えてもいいかもしれません。
視覚の基本原理として、僕たちは何かを見る時に調和や秩序を自然に求めてしまいます。
そして、それらを見つけた時に安心し、直感的に「美しい」と感じます。
水中写真には色々な表現がありますが、少なくとも僕は「水中は美しい」と思って写真を撮っています。
なので、写真を見た人に「美しい」と感じてもらうことは、極めて重要なのです。
■バランスは正確に取る
バランスが崩れると、調和や秩序が乱れ、緊張感が生まれます。
これをあえてやるという話は後回しにして、うっかりそうなってしまった場合を考えてみましょう。
下の2枚写真を見てみましょう。
皆さんは、どちらがしっくりきますか?
微妙な違いなので、注意深く見てみてください。
日の丸構図について解説する時に、僕はよくこんな話をします。
「日の丸構図は場合によっては有効だしパワーのある構図です。ただ、使う時には、完璧な日の丸になるように注意しましょう」
僕は日の丸構図を、「最もシンプルなシンメトリー構図」と捉えています。
何事も、シンプルなものほど加減が難しいし、正確でなければいけません。
料理に例えてみましょうか。
沖縄には、魚のマース煮という家庭料理があります。
マースというのは沖縄の方言で塩のことなので、魚を塩で煮たシンプルな料理ですね。
このマース煮、魚の鮮度が重要なのは一旦置いておいて、塩加減がめっちゃ大事です。
塩が足りなかったら魚臭さが前に出てしまいますし(たぶん)、塩が多すぎたら保存食を食べている感覚になります。
ようは、食えたもんじゃありません。
では、魚の香草パン粉焼だったらどうでしょうか?
きっと、色んなスパイスの香りと味が混ざり合って、塩加減が多少お粗末でも、まあそれなりに食べられますよね。
つまり、シンプルな日の丸構図というのは、一見簡単そうに見えるけど、完璧なバランスを取るのが難しい構図なのです。
きちんとシンメトリーが取れていないと、調和が崩れ、写真を見た人は何とも言えない居心地の悪さを感じます。
これは意図していない限り、ただのミスです。
そこにあるはずの美しさや何かしらのメッセージが、伝わらなくなってしまいます。
■構図を外す意味
人は写真を見る時、無意識に調和を求めてしまう。
だから、きちんとバランスが取れている構図の方が、人には美しいと感じてもらいやすい。
結果的に写真を長く見てもらえるし、伝えたいメッセージも伝わりやすくなる。
ここまで書いてきたのは、そんな話です。
でも、ここで一度立ち止まりましょう。
僕たちはバランスを取るために、受け手に調和を与えるために水中写真を撮っているのでしょうか?
違いますよね。
「バランス」とか「調和」とかいうのは、あくまで撮り手の意図を写真に反映させるための手段であって、目的ではありません。
なので、あえてバランスを崩しにいってもいいんです。
調和や秩序をぶっ壊して、緊張感や違和感を生み出したっていいんです。
これがすなわち「構図のセオリーを外す」ということですね。
人は時に、普通でないものに惹かれ、そこに意味を探します。
■構図の外し方
最終回の最後の方で尻すぼみ感は出したくないのですが、ごめんなさい、力尽きました。
僕はこれまで、構図のセオリーを外すということをほとんどしてこなかったので、皆さんに具体的な方法を伝えることができません。
もちろん、今あるストックの中から数枚選んできて、普段やらないような奇抜なトリミングをすれば、それっぽい作例は提示できると思います。
でも、そんな奇をてらっただけの写真に、何の意味があるのでしょうか。
人は普通でないものを見た時、より注意深く観察し、そこに意味を探します。
つまり、何か普通でないことをするには、意味が必要です。
理屈ではわかっていても、これを実際に自分の作品に落とし込むには、勇気がいるんですよね。
僕たちは、調和に慣れすぎているのかもしれません。
それから、この文章を書いていて、「外す」という言葉が、意外とハードルが高いようにも感じました。
だって、「外す」って言ったら、基準を全部知ってる必要があるじゃないですか。
自分が構図についてどれくらい知ってるかなんてわからないし、僕だって自信はありません。
あえて「外す」と言わなくても、自分が普段使っている構図を少し変えてみたり、逆のことをやったり、というところから始めればいいのかなと思います。
最初は意味なんてなくても、「こういう風に変えたら、印象もこう変わるんだ」ということを体感することからなのかなと。
それがいつの間にか、自分の一つの引き出しになっていたらいいですよね。
■さいごに
最後まで「水中写真と構図について考える」シリーズにお付き合いいただき、ありがとうございました。
皆さんからいただいた質問やリクエストが真剣で、多岐にわたっていたので、構図について深く考察してこれたように感じています。
構図だけで10回も書くことがあるとは、自分でも思っていませんでした。
最後まで書ききれたのは、本当に皆さんのおかげでです。
僕にとっても勉強になりましたし、大きな財産になりました。
「水中写真と構図」については、おそらくもっと考えるべきことがあるんだと思います。
そして、構図だけでこれだけ色々あるということは、他のテーマももっと深堀してみると面白そうです。
これからも一緒に、水中写真にまつわるあれこれを勉強していきましょう。
ここまで読んでくれた皆さん、力を貸してくれた皆さん、どうもありがとうございました!
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