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比田井通信 第832号(あだ名は「キラキラ」)

比田井通信 第832号(あだ名は「キラキラ」)
(2023.9.23発行)

前回の続きです。先週、内谷さんの
「ながぁ~いお話」が始まりました。

小学校の頃、いろんな事情があって
不登校ぎみだった内谷さん、
おじいさんの
「わらじを履いて学校に行けば
 体も元気になって、友達もできて
 毎日、楽しく学校に行けるようになる」

の言葉通り、内谷さんは
小学校に通えるようになったという
「わらじ話」を先週しました。

今日はその続きです。

そんな内谷さんも
今度は中学です。

小学校は1時間歩いて
おじいさんの家から通えるところに
ありましたが、
中学はもう家からは通えないほど
遠くにあったそうです。

内谷さん、中学の寮に入ります。
小学校のときには同級生は2人。
いきなり100人も同学年がいる中学です。

小学校の時には
「わらじのチカラ」でなんとか
通えていましたが、
また不登校ぎみになってしまいます。

仮病を使って寮にひきこもってしまいます。
学校に行けるのは週2日か3日。

そんなある日、
「今日は学校に行ってみようかな・・・」
と思って学校に行きました。

その日の朝礼で担任の先生が
クラスメイトに対して
こんなことを言うんです。
(動画ご希望の方はコチラをどうぞ)

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みんな、内谷の顔を
よぉ~く見てみろ。
こんなに目がキラキラした友達は
どこにもいないだろ。
覗き込んでよく見てみろ。
夜空の星のように
こんなに目がキラキラしている子はいないぞ。

=============
そんな風に言ったそうなんです。

実は、内谷さん、
本当に目がキラキラしてるんです。
私と同い年の54歳ですが、
54歳になった今でも
目がキラキラしているんです。

そんな方なんです。

で・・・、どうなったか。
先生がそんなことを言うものですから、
13歳の子ども達ですから、
内谷さんのところに来て
顔を覗き込むんです。

すると、
「ホントだ!キラキラしてる!」
「どうしたら、そんなにキラキラするの?」
ってクラスメイトが言うんです。
集まってくるんです。

「わらじ」の時と同じです(笑)

結果、それがきっかけとなって
友達がたくさんできて、
学校に通えるようになったんです。

それ以来、あだ名は
「キラキラ」です(笑)

内谷さんは昭和の時代に
早くも「キラキラ」ネームをつけてもらった
日本で最初の子どもです(笑)

これね、周りから
「キラキラ!」って呼ばれるんですよ。
もう、内谷さん自身の心も
「キラキラ」するわけですよ。
なにをやっても楽しいんです。
勉強も、運動も、友達も、
学校も休まず通うんです。

そしたら、成績も上がるんです。

内谷さん、
「この先生が私の妄想力を
 さらに膨らませてくれた
 二人目の人です。有難かったです。」

って言ってました。

そんな内谷さんも気が付くと中学3年生。
進学のことを考えなくてはいけません。
そしたらその先生が、内谷さんを呼んで

「お前の成績だったら推薦で入れる高校があるぞ」
って言うんです。

内谷さん
「えっ、受験勉強しなくて入れる高校があるんですか?」
って乗り気なんです。

夏休み、その高校の「一日体験」が
あったそうなんですが、
行ってみると・・・・

「あれ、男しかいない・・・」

どうも、実業系の高校で
しかも、先生が「推薦で行ける」と
言ったのは「土木建築科」
男子しかいないクラスだったそうです。

高校に行ったら彼女を作って
楽しい高校生活を送りたいと
思っていた内谷さん、
「先生、あの高校はありえません。
 男しかいない高校なんてありえません」

きっぱり、お断りをして
結局、受験をして高校に行くんです。
女子の多い商業高校です(笑)

そんなんで楽しい高校生活を送った
内谷さんですが、3年間なんてあっという間です。
また進路のことを考えなくてはいけません。

周りの友達は「就職」「専門学校」と
どんどん進路を決めていくんです。

ところが・・・

内谷さんには「やりたいこと」がまったく
見つからないんです。

就職するにも
進学するにも
準備が必要ですから
先生も「どうするんだ?」って
聞いてくるわけです。

内谷さんも困るんです。

そんなある日、
内谷さんは
「あっ!」って思い出すんです。

小学校のときのことです。
僻地の24人しか全校生徒がいなような小学校に
劇団がやってきて「演劇」を観せてくれました。

今のようにスマホもない。
映画館だってない。
内谷さんの住んでいたおじいさんの家には
映るのか映らないのかわからないようなテレビしか
なかったそうです。

いわゆるエンターテイメントが
まったくなかった内谷さんにとって
その演劇は生まれて初めて観る
「エンターテイメント」だったんです。

もう食い入るように観て
楽しくて楽しくて
仕方なかったそうです。

きっといつもに増して
目をキラキラさせながら
内谷さんは観たんでしょうね。

その日の事を
高校生の内谷さんは思い出すんです。

あれだ!自分もあんなふうに
 人に喜んでもらえる劇団員になる!
」と決めます。

(その後のお話、動画希望の方はコチラ↓)

ただ・・・、

当然、先生も、親も反対です。

「そんな思いつきでうまくいくような
 そんな世界じゃない」

って言われるんです。

でも内谷さんの行動力は凄いです。

東京にある劇団の入団試験があることを調べ、
計画を立てます。

今でこそ、スマホがあれば
検索で簡単に見つかると思います。
新幹線の時間だって
ホテルの予約だって
当時の高校生にとったら
簡単なことじゃないです。

大きな問題は
お金です。

親は大反対です。
出してくれるわけがありません。

困った内谷さん、
県外に住んでいるおばさんに
電話で連絡をとります。

お願いだから
 お金を貸してください。
 必ず成功して、
 ちゃんと返しますm(__)m


おばさんは
「それなら、あなたが作った
 計画をちゃんと見せなさい。
 どの新幹線で行って
 どこに泊まって
 どの劇団の試験を
 どこの会場で受けて
 どの新幹線で帰ってくるのか
 ちゃんと確認できたら貸してあげる」

そう言ってくれたそうです。

内谷さんはその計画表を
おばさんに送ります。

おばさんから返ってきたのは
台風や大雨で新幹線が止まった場合など
もしものことがあった場合、
どうしたらいいのか、
さらに詳細を書いた計画表と
現金10万円だったそうです。

あの時代の高校生にとって
10万円なんていったら
今の100万円ぐらいのものです。
「手が震えた」って内谷さん言ってました。

内谷さん、その10万円を握りしめて
東京に向かいます。

もちろん、学校にも
親にも黙って行くんです。

試験当日、日比谷にある会場で
10時から試験が始まります。

島根から出て来た内谷さんにとって
東京なんてもう異国の地です。

なにがあるかわかりません。
人生を賭けた試験ですから、
朝6時には会場に行ったそうです。

すると・・・、


会場の入り口に
そこにいるはずのない人が
立っているんです。


お母さんです。


内谷さんはビックリです。
驚いてお母さんのところに行くと、

「なにしてるの!」の言葉の
「な」と同時に思いっきり
顔面平手打ちが飛んできたそうです。

もちろん、おばさんは
その詳細な計画表を
お母さんに渡していたんでしょうね。

お母さんはお母さんで
どうしようか、迷ったんでしょうね。

きっと、おばさんは
「内緒でって言われているから、 
 でも、報告だけはしておくね」

ってお母さんに渡したんでしょうね。

その時のお母さんが
内谷さんを殴った本当の気持ちは
私にはわかりませんが、
内谷さん、おもいっきり殴られて
夢から醒めたんだと思います」って
言っていました。

本気で劇団員になりたければ
殴られようが、何を言われようが
母親を説得して試験だけでも受けて
帰ってくることはできたと思います。
でも、結局、母親に殴られて
母親と一緒に帰ってきたんです。

「私の劇団員になりたいという思いは
 その程度だったんです」


そう言ってました。

今日はこの辺にしますね。
小河二郎会長、
今日も登場しませんでした。

でも、この辺のお話をしておかないと
内谷さんと小河会長との出会いの
必然性がちゃんと伝わらないんです。

来週は、しょんぼりして
お母さんに連れられて島根に帰った
内谷さんがどんな行動にでたのか・・・

そこからお話します。

今回のお話を動画でもどうぞ

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