現代対遮、あるいは HyperLydian、解析“的”接続【1】
私が近年、世の実例から観測しており、また私自身も作品中に使うようになった、とある「不協和」の一種の話です。
それは、三度堆積和音の形で記述すれば、G△7/F△7 のような音響。
[ ファ ラ ド ミ ソ シ レ “ファ#” ]。※音名です
音程構造を維持して root を C音 に移すと、D△7/C△7 になります。
[ ド ミ ソ シ レ ファ# ラ ド# ]。※音名です
これらの音群を、「2つのコードの連結がある箇所」という感じでなく、さも「単一の和声が持続している区間」であるかのように採用します。
🔹
対遮
まず上記音響が、「取り立てて言うほどに」不協和である、ということにピンと来ない方もいらっしゃると思うので、知識として導入して下さい。
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「対遮(たいしゃ)」というのは、「対位法」と、その次世代の「和声法」の、2つの思考回路の狭間に発生する概念だと、私は位置づけています。
(※歴史的事実はさておきます。私が説明時にそう位置づけるだけです。)
ここの末席にChord-scale理論を添える筆者は、私が先駆かも分かりませんが、もちろん今回の話に関係あるので居ます。
🔸付録🔸
🔸付録おわり🔸
「対遮」は、“対位法” 的に(旋律と旋律と…だけを見て)作曲していたら発生していた、“和声法” 的な観点での不協和、の一つです。
「旋律 + 旋律 + 旋律 …」の発想で、ヨコの流れ(個々の旋律の自然さ)だけを見ていると “成立” し得るので、和声法的な「タテの響き」の観点からも二重チェックしない?どうでも良くなくない??
……みたいな流れが、西欧音楽史上にあります。
作曲法(作曲哲学)の過渡期です。
両者は「優れた対位法処理は和声法的にも優れたものであり、優れた和声法処理は対位法的にも優れたものである」と評せる関係であり、「アプローチの違い」として、その主流が和声法主軸へと変遷していきます。
対遮の取り扱い、の派閥(?)――和声法とジャズ理論の違い
で結局、何を引用しようか迷いましたが、例の本での定義を引用します。
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