「禁則」って何?【和声法】
テキストには「禁則とは何か」なんていちいち書いてないですよ。
「普通の日本語」として使っているつもり、のだけのワードです。
(そこに書き手と皆さんとの間で、ディスコミュニケーションが発生しているかもしれませんが。)
「普通の言葉」だということは、その意味する所は、その時々で変わり得る、ということです。変わり得るからすれ違うんです。
本書のシリーズで一番最初の『原則』は、ソプラノ、アルト、テノール、バスそれぞれの「音域」についてです。Ⅰ巻18p です。
これについては、直前の 17p に、
出せる音域は人によって違うし、そもそも声楽曲ではないものを書く時は関係ありません。
ここは「これらのように音域を制限しても、和声法的な処理を良好に実施する方法が概ね存在するので、まずはそれらを知って欲しい」と受け取れば良いでしょう。
つまり、古典派的なボキャブラリーからはみ出した実例については、声楽曲であっても先の音域をはみ出したり、「あえて音域については破る選択によって、他の項目を満たす」ことが優先されていたりもするでしょう。
本書のシリーズで一番最初の『制限』は、一つ一つの声部における、「長・短7度進行」「増音程(増1度を除く)進行」「複音程(9度以上の音程)進行」です。
🔹
これは、(本書には特に明記が無かったと思いますが)音楽作品の実例の中で、ハーモニー的・和音的要素の根幹部分としての “和声” 部分が、原則的には「静謐に・最小の動きで連結されていくことがベスト」であるというイデオロギーが前提とされているからです。
知っておくべきは、和声法のアプローチで曲を組み立てるならば、「まず土台としての “和声” をしっかり繋ぎ、組む」→「その後に飾りつけをして曲としての体裁を整えてフィニッシュ」という、二段階を経るということです。
すなわち、Ⅰ巻とか、曲の土台部分としての “和声” を取り扱っている段階では、メロディラインを豊かにするとか、あるいは面白く・魅力的にするとかいうことは「考える前」の段階です。
「和声法では7度跳躍や増音程跳躍が使えない」とかいうことを吹聴している人がいたら、クラシックにわかです。しかも恐らく、Ⅲ巻「構成音の転位」の項を読んでいません。受け売りマンです。
意味を解っていないので、もう参考にしない方が良いでしょう。
本書のシリーズで一番最初の『禁則』は、2声部の同時的進行(ぴったり同じタイミングで次の音へ移る)における、「連続8度」と「連続1度」です。
🔹
先程も “声部” と出て来ましたが、この項目を理解するためには、クラシックの実例における “声部” の「本当の所のニュアンス」を知る必要があります。
“声部” とは、“和声法的” に診ている時分に「“1パート” とカウントする意味のあるパート」を数える呼び名です。
弦楽四重奏が全ユニゾンしていたら、その区間は1声部(の音楽)です。
この場合、(同度ユニゾンではなく)オクターブ・ユニゾンを含んでいても、1声部と考えてしまうべきだと言えます。
オーケストラの全ユニゾンも、(明確なピッチの無い打楽器を除き)違うピッチクラスを鳴らしているパートが一つも無いのであれば、その区間は1声部です。
一名のフルート奏者だけがメロディAを奏し、他の楽器100人が全てメロディBを奏しているならば、2声部です。
例示的説明しかしていませんが、「(和声法的に)カウントする意味がある」とは、こういうニュアンスです。
全く理解できなかったならば、レッスン使って下されば補足いたします。
だから「『運命』の冒頭は有名な連続8度」とか言っている人が居たら、和声法の意図をなんも理解していません。
でも音大の教育者クラスにも居るみたいです。これはもうテキストが悪い。テキストの責任ですね。
「1声部の音楽に連続○度なんて考える余地が無い」と言い放って欲しい所です。
「ユニゾン」は「(完全)1度ハモリ」、「オクターブ」は「(完全)8度ハモリ」と表現してもまぁ良いはずなのですが、あまりそう表現しないことからも、「ハモリ」としてではなく「そういう1音色」の効果、だと捉えるべきです。少なくとも、そう捉えるのが和声法的です。
🔹
ここまで来ると賛否はありますが、「完全5度のハモリ」の見た目をしているギターの「パワーコード」という奏法も、「そういうサウンド・そういう音色効果の一つ」であると考えた方が良い、と私は教えます。
この立場に立っても良いならば、パワーコードの実例をして「連続5度はロックやポップスでは全然使う」という論も、的外れです。出すべき実例が違う。
パワーコードも、「2声部のハモリ」であると見なさず、「そういう音色の1声部」に近いもの、であると見なすからです。
↑ 「完全4度ハモリ」の響きをフィーチャーしたサビ。
↑ 完全5度ハモリ。必然的に属調との複調の様相を帯びる。
※本家動画はハモリが小さいため、よく聞こえるカバーをご紹介しました。
↑ 完全5度ハモリ。「右往左往してゐる」の部分。
🔹
ギターと言えば、ギターのコード・バッキングも、和声法の同時進行系の禁則を考える道理が無いですよ。あれは演奏の都合で同時発音6音だったり5音だったり4音だったりするし、「それらの一音一音が、一つ一つ “声部” として独立している」という聴かれ方を、普通はしないものでしょう。
あれは「Em7」など任意の特定のコードを、「漠然と空間に充満する存在」としてかき鳴らす楽器として、あるいは「コードも鳴るパーカッシブな楽器」として、音楽を支えるために起用されます。
流石にちょっと強引な言い方に聞こえるかもしれませんが、「“コードの充填” という1声部」のように思うこともできると思います。「“声部” としての処理を大して気にしない」という意味では、間違いではありません(じゃあ “0声部” か?)。
バロック期の「通奏低音」で足されるチェンバロとかも、似たような感覚の位置づけだったんじゃないかな。
そもそも “5度の連続” や “8度の連続” を避けながら弾けるようになんてできてないでしょ、スタンダードな調弦が。
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