「けものフレンズ」と私
それはそれは昔のお話
まだフォロワーさんが200人程度だった頃。
私は"けものフレンズ"に出会いました。
大学3年生のウィーン研修、好きに弾いて良いグランドピアノが置かれた一室で、のちに私の音楽の相棒とも言える存在になる中国人の男の子がとある1曲を奏でていたのが全ての始まりです。
「それ、何ていう曲なの?」私は聞きました。
その一曲こそが
「ようこそジャパリパークへ」でした。
当時、けもフレはアニメの放送も終わり大人気。
一大ムーブメントを巻き起こしていました。
私も男の子に勧められるがまま、アニメを一気見したのを覚えています。
そしてその世界観に引き込まれていきました。
私が使っていたマウスパッドは文字やイラストが描けるメモ式のものでした。
そこに何気なくサーバルちゃんを描き、Twitterにそれを載せたところ、今までに経験したことのない数のいいねが付き、とても驚きました。
今まで界隈という経験がなくオリジナルの絵ばかり描いていた私にとってそれは初めての経験であり衝撃であり、"界隈に受け入れられた"という喜びがありました。
もっとフレンズちゃんを沢山描きたい!
魅力的で可愛いフレンズちゃんを上手く描けるようになりたい!
そんな気持ちが湧いてきて、今日までイラストを描き続けてきました。
コラボカフェ、期間限定ショップ、がーでん、コミケ、ライブ、コンセプトアート展…
様々な場所に足を運ぶ度、フォロワーさんたちに出会う度、合同企画に参加させて頂く度、けものフレンズというコンテンツの奥深さを知る度、自分の世界が広がっていくのを感じました。
また、動物園や水族館に足を運ぶことが今までの何倍も楽しくなり、生き物の魅力に惹かれていくようになりました。
(いつかカメラで綺麗な写真を撮りたいな📷✨)
けものフレンズというコンテンツが狭い部屋で閉じこもっていた私の世界を変えてくれたんです。
そんな中で私には親友と呼べる存在ができました。私と同じ、けものフレンズが大好きでお絵描きをしている女の子でした。
毎日TwitterのDMやLINEを使ってやり取りし、何気ない時間を大切にしながらお互いを支え合って生きていました。しかし彼女の脳に悪性の腫瘍ができたことが判明し、余命1ヶ月の宣告を受け2017年に20代の若さでこの世を去りました。
彼女は生前手術の前、私の送ったけものフレンズのイラストをずっと握りしめてくれていたそうです。その気持ちは私も同じで、彼女が送ってくれたけものフレンズのイラストを今でもお守りのように特別に大切にしています。
"イラストには人を支える力がある"こと、そして彼女が愛したけものフレンズというコンテンツが今後どのように展開されていくのか、ということ。彼女の死をもって「イラスト」と「けものフレンズ」この二つは私から切っても切り離せないものとなり、私はお空の上で待っていてくれる親友に物語の続きを伝えなければならないと思うようになりました。
私の心の支えの1つでもあり、
希望でもあり、とても大切な存在。
けものフレンズが無かったら、出会わなかったら今のひこひぃは存在しないでしょう。
そして、今もけものフレンズは3として、けもVとして、期間限定ショップ等イベントとして続いており、私はまだまだ追いかけることができます。それがとても嬉しいです。
私はけものフレンズという温かで優しいコンテンツや界隈が大好きですし、これからもイラストを描き続けると思います。
私のイラストで少しでも多くの方にけものフレンズの魅力やフレンズちゃんの可愛さを伝えることができるように、日々精進していきたいと思います。
以上、今日のnoteでした!
お付き合い頂きありがとうございました😊
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