どうして四国巡礼に向かい、なぜBD−1なのか
四国八十八ヶ所へ向かう人には、それぞれに理由がある、という。亡き人の供養であったり自分探しの修行、病の治癒にただの観光など、実に様々。しかし、何か足りないもの、足りてはいるが満たされないものを埋めるために、八十八ケ所を巡るということでは一致しているのかもしれない。その不足しているピースは人それぞれということのようだ。
では、あなたは? と、問われると答えに窮してしまう。
BD-1で東海道五十三次を制覇したあと、次は中山道六十九次か四国八十八ヶ所にチャレンジしようと思ったのは間違いない。『四國遍禮道指南 全訳注 (講談社学術文庫)』をさっそく購入したし、四国八十八ヶ所マップのアプリもすぐにiPhoneにダウンロードした……けれど、現実的な観点から、日数的にも短くて済む中山道六十九次を優先することした。
そもそも最初から区切り打ちは頭になくて、やるなら行ったきりの通し打ちしか考えてなかった。そのためには、自分の甘い見立てだと余裕を見て3週間ほどの長期休暇が必要。中山道の5泊6日も土日の休日と繋げてなんとか休みが取れたくらいなのに、3週間近くの休みなんて日本でサラリーマンしている以上、どう考えても無理な相談なのだ。
中山道六十九次を制覇した後は、1泊2日で十分に走破できる甲州街道、日光街道、奥州街道(白河宿まで)をそれぞれ日本橋から走破。まずは五街道を全制覇してから、という言い訳もついになくなり、残るはいよいよ四国八十八ヶ所の番。というわけで、いつでも四国に旅立てるように、準備は整えてきた。納経帳、納め札、白衣の代わりのユニフォームなどに始まり、BD-1も四国向けにパーツを交換したり。もちろん、四国お遍路に関する本は、文庫・新書で手に入るものは片っ端から読み漁ることにした。
そこで気がついたのだけれども、なんだか大義名分がないのに四国八十八ヶ所を巡る行為が、ちょっと失礼に感じ始めたのだ。そこで体験談を中心とした紀行文から、次第に研究に関する文献を手にとるようになったのだけれども、江戸時代にも物見遊山的なお遍路もあったようだし、そもそも今のように白衣スタイルのお遍路が広まったのは昭和になってからということも分かった。
そこでようやく、BD-1での五街道旧道の旅の延長として四国へ旅立とうという決意が固まった次第。
●クルマほど速くなく、徒歩ほど遅くなく
ただし、これまで同様、今回のBD−1旅は正真正銘のプライベートでなければならない。自腹で自分の時間を使って旅をするのだ。ということで、それまで勤めていたWEBメディアの編集長という立場に区切りをつけ、四国へ旅立つことにした──厳密には退職届を提出して、有休消化期間中を旅に充てたのでした。
これまでの経験で、旅に出る目的は自分の存在の小ささを確認するため。この世の大きさを知るため、と言ってもいい。広義の意味において、自分探しと言えばそれまでなんだけれども。
どうして長距離に向かないBD−1なのかといえば、スピードが遅いからこそ通過する景色が記憶に定着するから。だったら徒歩が一番なのだけれども、乗り物好きとしては、今はまだ車輪のついた乗り物と対話──タイヤの空気圧とか、ブレーキのタッチとか──しながら旅をしたいのだ。クルマだと気が付かない風景が、BD−1だと目に入る。一度走ったことのある道も、新たな発見がたくさん。今回の四国も、きっとクルマでは見えなかった気づきが数多くあるはずだ。
それにBD−1ぐらいの乗り物だと、東海道や中山道でも十分にグレートジャーニーになる。クルマでなら「いい景色だね」で終わってしまう峠も、自分の脚で登らねばならないから、高低差や距離が身体に染み付くことになる。日本全国、すべての県をクルマで走って分かったつもりでいるけれど、本当はまったく知らないと言っていい。
今回の四国巡礼は、ざっと見積もって1400km〜1500kmほど。アバウトなのは寄り道もするから。この距離、2018年に4泊5日で弾丸取材したグランドサークル1周とほぼ同じ。そう考えると、ちょっと気が遠くなる距離だ。最終日なんて、単調なハイウェイを睡魔と闘いながらドライブした記憶しかない。いまあのときのルートをBD−1で走れといわれたら、ちょっと躊躇ってしまう。
グランドサークル1周は、人生の中で記憶に残る弾丸取材だったことは間違いなく、いまでも楽しい思い出のひとつなのだけれども、弾丸すぎたために残念に思うこともある。地平線までまっすぐ伸びる道や、アーチーズを始めとする国立公園の雄大な景色の中のワインディングとか、とにかくいろんな景観、道路状況などスケールがあまりにも大きすぎて、たった4泊5日では旅のすべてを自分の中で消化することはできなかったのだ──まあ、アメリカ合衆国がいかに広大であるかは、むしろよく分かったけれど。しかし今回は同じ距離でも自分の脚で。日数も3倍以上かかるはず。クルマでの弾丸旅とは違うスタイルで旅を満喫しようではないか。
●つべこべいわずに、たびに出よう
ともかく、思い上がった自分の卑小さを知る上でも、もしくは人生なんてこんなものと諦念していた自分を叱咤する上でも、このタイミングで四国に旅立てることに感謝。
ところで、四国八十八ヶ所を辿ってみたいと具体的に考えるようになったのは、おそらく4、5年前から。しかし、コロナ禍で県外を旅するなんてもってのほかという風潮になり、そんな気持ちもどこかへ。気がつくと、当初の五十歳にして四国に旅立つという計画が、叶わぬ年齢になってしまっていた。
テレワークで体力は落ちていくばかり。それに反比例して、四国、というか旅への想いは募るばかり。その想いのエネルギーをじっと内に蓄えつつ2021年を耐え忍び、2022年になると四国が具体的な姿になってチラチラと頭をよぎるようになった。いろいろ行動制限も解除されてきたことだし、そろそろ旅立とうと、有明からのフェリーのWEB予約をとっていた。熟考した末は、行動あるのみだ。(つづく)