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旅するBD-1、東海道五十三次旧道を行く_35:御油宿
DAY 4 8:56_御油宿 2018.3.26の記憶
●現代の東海道旧道は川ではなく道に阻まれる
3泊目は無事に豊橋駅前のビジネスホテルに宿を取ることができました。熱いお風呂に浸かることもできたし、ひげも剃ることもできたし、なによりベッドでぐっすり睡眠できたことでかなり体力が恢復。
それに、GoProとiPhoneに電力を供給するバッテリーの充電も完璧。
いつかキャンプ泊しながらBD-1で旅したいと思っているのですが、やはりこうした点で二の足を踏んでしまうのです。
今回は東海道五十三次の旅ですから、テント泊(野宿)ではなく、ビジネスホテル(旅籠屋)を利用するのが筋というものでしょう。さしずめ2泊目で利用したネットカフェは木賃宿、といったところでしょうか。
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ホテルで軽く朝食も済ませ、まずは昨日の夕暮れ時に遠くに眺めただけの豊川橋を目指します。豊川橋を渡ったら、左折、ひたすら道なりにまっすぐな道となります。
単調な道を7kmほど進むと、県道31号線のオーバーパスをくぐる、と思いきや直進できません。東海道五十三次の地図アプリでは直進となってますが、これは徒歩でも無理。一番近い国道1号線と県道31号線が交差する〈京次西〉まで迂回して、信号に従って対岸へ。
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江戸時代では、東海道のルート上にある大きな川(酒匂川、興津川、安倍川、大井川)には橋が設けられませんでした。それは幕府が各藩から軍事的な優位性を保つためでしたが、旅人にとっては非常に不便な難所でした。
現在、自転車(徒歩)での東海道旧道での難所といえば、川ではなくこうした道路や線路、クルマではこれに一方通行路が加わります。
無事に信号で向こう側に渡りきったところに、タイミングよくコンビニがあったので、そこでトイレ休憩。
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そのまま国道1号線沿いに走ってもよいのですが、ここは先程渡れなかったポイントまで一旦戻って、200mちょっとしかない旧道を走り、国道1号線に合流です。さらに退屈な国道1号線を900mほど走って、東海道旧道は国府交番の場所で左の裏道へと枝分かれします。4日目ではじめて東海道らしい道となります。
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