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アーティストライフをスタートして起こった出来事

こんにちは。
フォトグラファーのヒッキーこと
森藤ヒサシです。


今日は、
”アーティストライフを
スタートし始めて起こった出来事 ”

と言うことで昨日の続きです。

昨日は、
東日本大震災で被災し、
父親である会長と経営方針でぶつかったことで、

会社を追い出され、
そのことがきっかけとなり、

自分の好きに生きていこうと決めた。

というところまでお伝えしました。
その続きです。


それまで、
写真スタジオの四代目として、

"会社を続けなければならない"
"会社を守らなければならない"
という義務や役割の生き方から、

“自分の好き”
をベースとした
生き方に変えていくことは、
簡単なことではありませんでした。

正直なところ
不安だらけの再スタートだったからです。


しかし、
「〇〇しなければならない」

という義務感や犠牲感
いわゆる

must (しなければならない)

の考え方ではなく、
「〇〇したい」
という自分たちの好きを追い求める

want (したい)
の考え方に変えたことは、

人生を大きくシフトするきっかけとなりました。


そして、
自分たちの生き方を決めてから

写真という仕事に対する考え方が
「やらなければならない仕事」から
「やりたい仕事」へと

ガラッと変わっていったのです。


また、
「自分たちの好きをベースに生きよう!」

と決めたとき、
改めて気づかされたことがありました。

それは、
僕の大好きなことは
実は写真だったということ。

それまで、写真は仕事として
やらなければならいもので、
好きと感じたことはありませんでしたが、

僕にとって写真がとても大事で、
そして大好きなものだと気付いたのです。

さらに、
僕にとってパートナーや家族は、
かけがえのない存在であったことにも
気づかされました。

写真、そして家族

自分のすぐそばにあったものは、
あって当たり前なものではなく、

実はそれがとても大切なものであり、
大好きなものだったことに気づき、

それまでのことを反省するとともに、
感謝でいっぱいになりました。


「自分の“好き”をベースに
 “自分らしく”生きる」と決めてからも、

しばらく苦労した時期は続きました。

しかし、
たくさんの人たちからの応援もあり、

写真のセミナーを始めたり、
僕の撮影する
ブランディングフォトも認められはじめ、

少しずつ人生が変化していったのです。


そして3年後、

憧れだった
富士フィルム営業写真写真コンテストで
日本一の賞を受賞することができました。


金賞受賞の作品

その受賞がきっかけで、
喧嘩別れした父親とも和解しはじめ、

実家である写真スタジオの
経営者として戻ることができたのです。

自分の好きをベースに生きるというのは、
とても勇気のいることです。

でも、自分の好きを大切にすることによって、

自分の好きなものからも、
応援され始めたのです。


僕の場合は、

写真を好き!
と心の底から思えるようになったことで、
写真にも応援されるようになったのです。


明日は、またこの続きです。

最後まで、読んでいただき、
ありがとうございました。

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