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#203 Transcript : アンディー・ポーラックさん ボイス・メッセージ(文字起こし)

ホームタウンのこと

Andyさんへの最初の質問は、現在のホームタウンについて。
Andyさんは、いま、イギリスのどんな街で暮らしているのでしょうか?

ぼくはノーサンバーランドという、イングランドのなかで最も北にある州に住んでいるんだ。
スコットランドの国境もすぐそこだね。
とても綺麗で長閑なところだよ。
農場があって、海までなだらかに延びる丘があって、美しい海岸もいっぱいある。
あとは、お城がとても有名だね。
あちこちにお城があるんだ。
ぼくの住んでいるアニックは、歴史のある古い町で、
やっぱりここにも綺麗なお城があるんだけど、
今でも貴族たちがそこに住んでいるんだよ。
まあ、そんなわけで、ぼくはノーサンバーランドのアニックという街で暮らしている。
美しくて、とても静かで…、そんなところが気に入っているよ。

80年代の音楽のこと

初期のAndyさんの音楽は、プリファブ・スプラウトやアズテック・カメラなど、80年代のUKインディーバンドとの共通性を感じさせるものでした。
それらのミュージシャンたちはAndyさんにどんな影響を与えていたのでしょうか?

あれは本当にすごい時代だった。
次々とすばらしい音楽が生まれていたよ。
まずはなんといっても、パンクとモッドかな。
そう、ぼくはTHE JAMに強く影響を受けていたんだ。
ジャムのポールウェラーは、ぼくの大好きなソングライターのひとりだね。
あとは、ビリー・ブラッグ、エルビス・コステロ…、
そして、そう、アズテックカメラのロディフレイム!
彼は素晴らしいギタープレイヤーだし、美しい曲も書ける。
間違いなく、ぼくのヒーローだったね。
そしてもちろん、パディー(パディー・マクアルーン / プリファブ・スプラウト)もそうだよ。
彼とぼくは近所同士なんだ。
彼はぼくの両親と同じ村で暮らしているんだけど、
不思議なことに、ぼくはまだパディーに一度も会ったことがないんだよね。
だから今、彼らがどうしているか、実はぼくにもよくわからないんだ。
でも、ともかく、ぼくは彼の音楽には巡りあうことができた。
そして、彼はぼくと同じように、ジャズっぽいコードとか曲調を作品に取り入れていたんだ。
ぼくらの出身地であるニューキャッスルには音楽カレッジがあって、
ぼくはそこで たくさんの地元ミュージシャンたちに出会ったんだけど、
当時、そのカレッジのシーンには、まちがいなくジャズの影響が色濃くあって、
それは地元ミュージシャンたちの作風にも反映されていた。
パディーとプリファブのメンバー達も、そんな風に同じ影響を受けてきたんじゃないかな。
そう、彼は素晴らしいソングライターだよ。
いつかパディーに会いたいよ。
彼らはほんとうに影響力の大きいバンドだった。まあ、とにかく、ぼくはそのとき18歳で、いつも音楽が近くにあったということだね。
EBTGや、アストラッド・ジルベルト、スタン・ゲッツみたいな、ボサノヴァ的解釈のジャズとかね。

アンビエント・ミュージックのこと

Andyさんのファーストアルバム『Shoebox Full Of Secrets』は、当時の音楽ファンの間で大変好意的に受け容れられたものの、所属レコード会社のトラブルなどもあり、それ以降、Andyさんの新作はしばらくリスナーの耳に届かなくなってしまいました。
しかし、近年では、2017年、2019年と、続けて新作をリリース。
これらのアルバムでは、初期のポップな作風とは異なり、アンビエント的な静謐な世界感が表現されています。
このようなAndyさんのスタイルの変化は、いったいどのような経緯でもたらされたのでしょうか。

ぼくは、あるとき、音楽を聴くのも作るのも完全にやめてしまったことがあって…。
たぶん、10年くらいの間かな。
全く関心を持てなくなってしまったんだ。
我が子のように愛し、育んできた作品たちが、ぼくの心に響かなくなくなってしまったんだよ。
ギターにも触りたくなかったし。何の意味も持たなくなってしまった。
それからしばらくして、ぼくはまた違う形で表現活動をはじめたんだ。
絵を描くこととかね。
まあ、あまり褒められた画家とはいえないんだけど…。
とにかく、そんなことをしているちに、Spotifyか何かで、たまたまニルス・フラームの音楽を耳にしたんだ。
そして、その空白…。
そう、音と音の間にある、美しく生々しいその空白にぼく強く魅せられてしまった。
そしてそこから、前から気になっていた作曲家のアルヴォ・ペルトのことを思い出して、彼の音楽も聞くようになって、
さらに、そこから、アイスランドの作曲家オーラヴル・アルナルズの音楽にも出会うことができた。
そして、そんな彼らの作品を聴いているうちに、とてもミニマルなピアノの音像が頭に浮かんできたんだ。
それは、かつてぼくがTALK TALKのアルバム『Laughing Stock』に心惹かれていたことを思い出させてくれた。
あのアルバムには空白があったし、すべての音に意味がこめられていた。
音の配置には、それなりのきちんと理由があったし、
音を鳴らすことと同じくらい、空白というのは重要なことだった。
もちろん、それはよく言われている言葉ではあるんだけど、ぼくはその意味を真に実感することができたんだ。
そして、ぼくのなかでふたたび音楽に対する興味が蘇ってきた。
また何か作ってみよう、という気持ちになれたんだ。
そこでふと思ったのは、ぼくは今まで、自分がうまくできることだけやっていたんだな、ということ。
ギターを持って、曲を書いて、歌詞を書いて…、いつだって言葉というものが念頭にあった。
でも、もしこれから新しい音楽を作るのなら、
そんな自分の安全領域からはみ出して、音楽の中にある空白に集中してみようと思ったんだ。
そして思った。
ぼくが弾けない楽器ってなんだろう?
ぼくができないことってなんだろう?
そうだ、ぼくはちゃんとピアノを弾くことができない。
それで楽器は決まった。
レコーディング方法もミニマリストなセッティングへと一新した。
2台のシンセといくつかのハードウェア。
ごくわずかなエフェクト。
そんな風にしてふたたび制作がはじまったんだ。
それでぼくは、『Sasquatches and synthesizers』というアルバムを作った。
それは新しいスタイルで試した最初の作品だったんだけど、良い出来になって嬉しかったな。
すべての音が、北イングランドの自然、林や泥炭地、荒々しい海岸に共鳴して、
ぼくの情熱もそこからふつふつと湧きあがってきた。
そして、そのあとに作ったのが、“One word of Truth outweighs the world”というアルバム。
ここでもまだピアノを弾いてるけど、エレクトロニカの要素がさらに少し加わっている。
でもやっぱりまだ、ギターは弾いていない。
もう10年から15年くらいは触ってないんじゃないかな。
まあとにかく、自分の安全領域からはみ出すというぼくの試みはうまくいったんだと思う。
そしてぼくは、楽器や演奏能力に束縛されされることなく、
自分が本当に求めているメロディを考えられるようになったし、
そして同時にそれを見つけなくてはいけなくなった。
今はそんな風にして制作しているんだ。
曲の断片を考え、それらを結びつけていくことも覚えた。
音源を流したり、演奏したり、それを一音ずつ切り貼りしたりね。
いずれにしても、音と音の間の空白というは、とても大事なことなんだよ。

心に残る旅と音楽のこと

最後に、この番組でいつもお伺いしている質問をAndyさんにも聴いてみました。
Andyさんにとって、印象深い旅のエピソード、そして、それにまつわる音楽とは、いったいどんな曲なのでしょうか。

旅はたくさんしてきたよ。
旅にまつわる音楽ということで思い出すのは、『Slow Dance』という曲のことかな。
あるとき、ぼくはフィジーを旅したんだ。
90年代、ぼくはサーフィンにとてもハマっていてね。
その頃はカリフォルニアに住んでいて、サーフィンを習っていたから、
友達と一緒にフィジーへサーフトリップにでかけることにしたんだ。
大きなボードとボールを持って行ったんだけど、とてもすばらしい場所だった。
ビーチでは、ぼくはギターも何も持っていかなかったんだけど、
その頃はまだソングライティングは続けていたんだ。
そして、ふいに曲がおりてきた。
四分の三拍子のワルツ…。
それが『Slow Dance』という曲になったんだ。
そのときはギターもペンも持ってなかったから、
頭の中だけでじっと組み立ていって、
それから、ホテルにペンと紙を取りに行って。
ビーチに座ってアイディアを書きとめていった。
それで『Slow Dance』が完成したんだ。
家に戻って、それがちゃんと形になるのかレコーディングして確かめたのは、
そのあと3週間後くらいだったと思う。
そう、そんなわけで、『Slow Dance』はギターを使わないでフィジーで作曲した曲なんだよ。
いつだったか、はっきり覚えていないけど、たぶん、90年代の始め頃だったんじゃないかな。
とても気に入ってるよ。
ぼくは本当にワルツが好きなんだ。
四分の三拍子、あるいは八分の六拍子…、あの感覚がね。

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(構成・訳:久納ヒサシ)

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