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魔法少女リリカルなのは Reflection 02

 キリエ=フローリアンの頭の中には、たったひとつの言葉があった。
「諦めない」
 今ではそれが、己の覚悟を確かめるための合言葉となっている。
「私は絶対に諦めない」
「この星も諦めない」
「パパだって諦めない」
「お行儀よく諦めてなんかやらない」
「諦めてたまるもんですかっ。……そのためだったら、なんだって……!」
 最近は時間の許す限り、地下の資料室でひたすらデータを洗っていた。ひとりの人間には大きすぎて重すぎる、孤高の使命感がキリエを突き動かす。
 ふと思い出すのは、昔のことだった。

 キリエはフローリアン家の次女として生まれ、姉のアミティエとともに育っている。
 母のエレノアは気立てよし、器量よしの、理想的な母親。
 三つ年上の姉アミティエは、そんな母の面影を色濃く受け継いでいた。さらさらのストレートヘアには、妹のキリエも幾度となく憧れている。
 そのキリエはというと、父親似だった。くせっ毛の遺伝は間違いない。
 父のグランツは見た目こそ、うだつの上がらない研究者だが、その頭脳と実績からコロニーでの評価も高かった。彼でなければ、支援などとっくに打ち切られている。
 そんな父の活躍を子どもなりに誇らしく思いながら、幼少時代のキリエは言ってしまったことがあった。
「お姉ちゃんみたいにママに似て生まれたかった……」
 すると、母と姉は『キリエのくせっ毛こそアレンジの甲斐がある』と熱弁を始め、父は申し訳なさそうに苦笑したものだ。
 その頃から、キリエは姉のアミティエに対し、一種の『苛立ち』を覚え始めたのかもしれない。優しい姉、何でもこなす姉――いつも自分を妹扱いする姉に。
「パパに謝らなくっちゃ……」
 そうは思ったものの、自分の発言がどれだけ父親を責めたか、わからないほど幼くもない。しかし家に帰っては、いよいよ逃げ場がなかった。
 ベースから出ることさえしなければ、安全だろう。キリエはひとりになりたい時、家からそう遠くない教会に隠れて、こっそりと休む。
 当時はまだ父も元気で、ベースの一帯にはそれなりに緑があった。近くの川で水遊びをした経験もある。
 それでも『街』の住民はひとり減り、またひとり減り……キリエの物心がつく頃には、惑星エルトリアにはフローリアン家しか残っていなかった。
 この教会は、街があった頃の名残らしい。
 宇宙まで進出しようと、ひとびとは原始的な信仰に立ち戻ることがある。むしろ水も空気もない宇宙空間でこそ、神が求められるのだろう。
 しかし幼いキリエは教会が何かも知らず、単なる空き家のように思っていた。
 天井の一部は穴が開き、教会の中からでも灰色の空が窺える。昔は虹色だったらしいステンドグラスも、毒性の風雨に晒されたせいで、薄汚れてしまっていた。
 それでもエルトリアでは数少ない、少女が『綺麗』と思える場所。
 いつものように石碑にもたれ、ちょこんと座り込む。
「少しだけ……」
 ここで休んだら、家に帰り、父に謝ろう――。
 そう思いながら、ふと天井の穴を見上げた瞬間だった。背後で何かが光を放つ。
「きゃっ?」
 石碑にシンメトリーの模様が浮かびあがった。キリエが驚く間にも、輝きはさらに強くなり、魔法陣を展開する。
 その魔法陣から分かたれるように、ひとりの少女が形になった。
 歳は十四、五くらいだろうか。服は着ておらず、白い裸体が光を弾く。
 彼女はまるで泳ぐように宙を舞った。キリエは相手が裸であることにも戸惑い、おたおたする。そんなキリエの頬に、白い手が触れた。
 柔らかい。母や姉のものと似ている。
「あ、あの……」
 こちらから勇気を出して、話しかけると、裸の少女は人差し指を唇に添えた。
 内緒話がしたい――わけでもないらしい。今度は口を開け、その中を指でかきまわすような仕草を見せる。
「ひょっとして……お喋り、できないの?」
 二回分の頷きが返ってきた。さらに彼女はキリエの鞄を指差す。
 鞄の中には救援用の信号銃が入っていた。ひとりで出歩く時は必ず携帯するもので、緊急時には色々と役に立つ、と教わっている。
「こ……これが欲しいの?」
 彼女はまた頷いた。
 信号銃を手放しても、家は目と鼻の先にある。少し貸すだけなら大丈夫だろう。
 それにキリエ自身、彼女に興味があった。最後の街がなくなったせいで、このエルトリアには友達らしい友達もいない。
(もしかしたら、友達になってくれるかも……)
 そんな期待もあって、キリエは信号銃を差し出した。
 彼女が両手を前に張り、三面鏡のような魔法陣を浮かびあがらせる。信号銃は魔法陣によってスキャンされると、ごとんと落ちた。
「あ」
 不意に声がする。
「あー、ああ~っ。……うんっ、こんなもんか」
 裸の少女は陽気な笑顔でウインクを決めた。
「ありがとう、お嬢さん。おかげで喋れるようになったわ」
 キリエのほうは呆気に取られるばかり。
 まるでおとぎ話のワンシーンを見ているかのようだった。
 彼女が信号銃で何をしたのかは、わからない。ただ、何かしら未知の力が働いて、キリエの前に出てきたらしいことはわかる。
「……もしかして、妖精さん?」
「まあ、そんなところかな」
 本当におとぎ話の通りだ――と、キリエは無邪気な笑みを弾ませた。
「そ、それじゃあ魔法を使ったり、お空を飛んだりできるのっ?」
「んー、まあね。……見たいんだ? 魔法」
 裸の少女は愉快そうにもったいぶる。
「うんっ!」
 キリエの小さな胸はますます高揚感で膨らんだ。
 彼女への興味と、自身への期待と。
「じゃあ、そうねえ……いらない機械とか、お家に余ってないかなー?」
「……きかい?」
「持ってきてくれたら、色々見せてあげちゃうんだけど。例えば服を作ったりね」
 どうやら彼女は困っているらしい。そして、自分は彼女を助けることができる。家では子ども扱いされてばかりいる、自分の力で。
 幸いにして、機械の類なら山ほどあった。そこらじゅうに残骸が転がっている。
「すぐ持ってくる!」
「あ……ちょっと待って」
 一旦家へ戻ろうとした矢先、彼女に呼び止められた。
「私の名前はイリスよ。お嬢さんのお名前は?」
「……キリエ! キリエ=フローリアン!」
 初めての自己紹介。
 友達ができた。それが、とても嬉しかった。

 それからというもの、キリエは毎日のように教会へ通った。
 イリスには不思議な力があるから、ではない。家族以外の人間とろくに触れ合ったことのないキリエにとって、イリスは初めての『友達』だったのだから。
 イリスのことは当初、家族には内緒にしていたが、幼いキリエに隠し通すことはできなかった。しかし母も姉も、楽しそうなキリエに水を差す真似はしたくなかったらしい。おかげでキリエは誰に咎められることもなく、友達のイリスに会いに行ける。
「ママが言ってたの。イリスは『じんこーちのー』なの?」
「有り体に言えば、そうね」
 イリスは人工知能を搭載した石版型の端末、とのことだった。少女の姿は質量を伴ったホログラムに過ぎず、本体はてのひらサイズの石版だという。
 その石版は少しひびが入っているものの、機能に支障はなかった。
 今日もキリエは教会の石碑にもたれ、イリスと何気ないお喋りを楽しむ。
「ほんとに機械から何でも作れちゃうのね、イリスは」
「ふふん。すごいでしょ?」
 イリスはジャンクを材料にして、さまざまな道具を生成することができた。機械類に限らず、布切れから立派な洋服を瞬時に拵えることも、造作にない。
 それがキリエには本物の『魔法』に思え、イリスのため、喜んで材料をかき集めた。
 キリエと一緒に花の図鑑を眺めながら、イリスが尋ねる。
「お姉さん……の、アミティエは? キリエとは遊んでくれないのかしら」
 キリエは視線を落とし、躊躇いがちに呟いた。
「パパと一緒に新型のフォーミュラの起動実験で、忙しいから……」
 遊んでいられる妹のキリエと違い、姉のアミティエには仕事がある。最近は戦闘訓練も本格化し、妹の面倒はあとまわしにされつつあった。
 イリスが瞳を瞬かせる。顔立ちは大人びている割に、表情の変化はあどけない。
「フォーミュラ?」
「んーとね、武器を出したり、変えたり……イリスの魔法とちょっと似てるかも?」
 キリエは立ちあがると、身体を大の字に伸びきらせた。
 見た目には歳相応の少女だが、この身体も姉のアミティエと同じ強化が施されている。大型のジャンクもひとりで楽々と運べたわけだ。
「私にもお姉ちゃんと同じ力があるんだよ。ちゃんと戦えるんだから」
 小さな胸を張ると、イリスがからかうような笑みを含める。
「フーン。本当にぃ?」
「ほ、ほんとだもん! まだ訓練が始まってないだけで……」
 身体を強化されたのは、死の星と化したエルトリアで生き抜くため。虎の子のフォーミュラにしても、異常進化した怪物を撃退するために欠かせなかった。
 キリエにはその力がある。
 だが、アミティエはキリエを戦力に数えようとしなかった。まだ幼い妹に危険な真似はさせたくないのだろう。母も姉に賛同し、キリエの戦闘訓練を先延ばしにしている。
 それが悔しかった。
「私だって……お姉ちゃんみたいに戦えるのに」
 せっかく『力』はあるのに。家族を守ることができるのに。
 自分はいつまで守られる側なのか――『妹』という言葉を呪いさえする。
 それに、こうしてひとりで本ばかり読むようになったのも、家族が忙しいからだった。
 父と母は研究に明け暮れ、姉は訓練の次は調査と、せわしなく働いている。そんな中でキリエができるのは、迷惑を掛けないように、ひとりでいること。
(訓練が始まったら、私も一緒にいられるのに……)
 一般の家庭でも、最年少の子どもが置いてきぼりにされることは、よくある。しかし無人の荒野が広がるエルトリアにおいて、キリエの孤独は耐え難いものとなった。
 だからこそ、こうしてイリスのもとに足しげく通っている。
「大丈夫よ、キリエ。もう少し大きくなったら、キリエのフォーミュラもちゃんと作ってもらえるわ。それまで、私が遊んであげるから」
「イリス……!」
 キリエにとって、彼女の言葉は何よりの励みだった。
 自分には友達がいる。理解者がいる。そう思うと、背中に安心感があった。

 それから何年もの月日が流れ――キリエの訓練も始まった。
 その頃にはグランツの努力の甲斐あって、ついに一部の緑化が実現。農場が完成し、キリエとアミティエが生まれて初めて『動物』に触れる場面もあった。
 あたり一面のお花畑も、夢ではない。
「ね? パパはすごいでしょ!」
 キリエは胸を躍らせながら、何度もイリスにそう語る。

 そんな希望が見え始めた矢先の出来事だった。
 キリエたちの父が倒れたのは。