魔法少女リリカルなのは Reflection 21
その頃、救急病棟には次々と料理が運ばれていた。
カレーライス、チャーハン、親子丼。十人前にも至りそうな量を、アミティエはノンストップで平らげていく。
『あのぉ……まだ食べますか?』
『いただきます!』
その様子をモニターで眺めながら、技術部のマリエル=アテンザは感心していた。
「すごいわね、彼女。骨の強度も筋出力もミッド人の数十倍、心肺機能も桁違い。これなら過酷な環境でも適応できるでしょうね」
あの豪快な食べっぷりも、怪我を治すための補給らしい。常人とは新陳代謝の作りが根本的に異なっているのだろう。
装備科の主任だけあって、マリエルはアミティエの武装にも注目する。
「装備の技術もすごいわ。許されるなら、じっくり研究したいくらい……」
彼女の手元には魔導士たちのアームドデバイスが集められていた。
クロノから催促が来る。
『マリエル。どれくらい掛かりそうだ?』
「みんなの装備の改修と更新……突貫でやれば2、3時間でできると思うよ。ただ、フェイトちゃんのバルディッシュは難しい子だから……」
『そうか。押しつけて悪いが、よろしく頼む』
「任せて! 完了したら連絡するね」
マリエルは調子よくウインクを決めた。
ところがアームドデバイスのひとつが見当たらない。
「……あれ? レイジングハートは?」
なのはのパートナーを持ち出そうとするのは、同じく装備科のシャリオ=フィニーノ。
「レイジングハートと私は、ちょっと野暮用が……うふふ」
「ん?」
メンバーそれぞれが動き出す。
次は負けないために。
☆
クロノは通信でユーノと今回の件を相談していた。
『そうか……なのはも怪我を』
「すまない。標的の戦力を過小評価した、僕のミスだ」
『いや、誰のせいでもないってことはわかってるよ。それより……』
何冊もの本を同時に捲りながら、ユーノが語る。
『EC4280エルトリアについて、ざっと調べてみたよ』
「EC4280……遠いな」
『うん。この距離を一発で飛んだとすれば、大した技術力だ。そのエルトリアだけど……星はもう滅んでると言ってしまっていいかもしれない』
まさかの真実にクロノは驚き、傍らのエイミィと顔を見合わせる。
「滅んだ……?」
『惑星エルトリアはね。住人はすでにコロニーへ移ってる』
ユーノは躊躇いがちに続けた。
『どうやら環境悪化が行き過ぎて、星の生命力が枯渇したらしい。エルトリア政府は『死蝕』という名の災害だと発表したようだけどね』
「表立って自分たちの環境破壊が原因、とは言えないか」
『そういうこと。まあ便宜上、誰もがそう呼ぶようになって……それで本星を捨てて、コロニーを第二の故郷としたんだ』
クロノの脇からエイミィが割り込む。
「ちょっと待って? ユーノ君。コロニーって普通、住人の武装は禁止してるよね?」
『うん。コロニーに穴でも空いたら、大惨事だからね』
「でもキリエ……今回の重要参考人も、そのお姉さんも、すごい武装を持ってるの。それっておかしくない?」
クロノとユーノは同時に押し黙った。
「……事情が見えてきたな」
『ああ。その姉妹は多分、コロニーじゃなくて本星にいたんだ』
あの武装や強化された肉体は、死の星で生き抜くために必要なのだろう。キリエの叫びはモニタリングを介して、クロノたちも耳にしている。
「パパを助けるとか言ってたよね? あの子」
「永遠結晶があれば、か……ユーノ、永遠結晶についてわかったことは?」
答えを期待したが、ユーノは申し訳なさそうにかぶりを振った。
『ごめん。夜天の書と関わりがあるみたいだけど……ただ、それこそがキリエたちの最終目的なんじゃないかな』
「じゃあ永遠結晶を手に入れるために、はやてちゃんの夜天の書を……」
「何にせよ、アミティエの聴取が始まれば、そのあたりの事情もはっきりするだろう」
クロノは椅子に深くもたれ、肘掛けをとんとんと叩く。
「ユーノ。君はその永遠結晶とやらも、地球にあると思うか?」
『おそらく』
頭脳明晰な司書からは即答が返ってきた。一方でエイミィは首を傾げる。
「ええと……ユーノ君?」
『もし別の世界にあるなら、次元を超えなくちゃいけない。でも次元を跳躍するには、それなりの設備がいるだろ? 少なくとも、今の地球の文明レベルじゃ無理だね』
ユーノの推察を前提として、クロノも頭を回転させる。
「となれば、方法はひとつ。地球近海のアースラ級を占拠することだが……キリエとイリスのふたりだけじゃ、さすがに不可能だろう。それでも行動を起こしたのは、つまり」
『永遠結晶も夜天の書と同じ次元にあるってことさ。互いに引かれあうとしたら、すでに近い場所まで来てるのかもね』
キリエとイリスには猶予も余力もないはずだった。おそらく傷を癒しながら潜伏し、永遠結晶へと迫るチャンスを窺っている。
それで辻褄は合いそうだが、エイミィが瞳を瞬かせた。
「ねえ……じゃあキリエは、永遠結晶を手に入れたあと、どうやってエルトリアへ帰るつもりなのかな」
クロノもユーノも顔色を変える。
「エイミィの言う通りだ」
『持って帰る方法がないよね。時空管理局がフォローしない限り』
エルトリアから地球へは飛べても、地球からエルトリアへ飛ぶ手段はないのだ。キリエたちの行動は用意周到に思えたが、最後の最後で大きな落とし穴が空いている。
「何かがおかしいぞ。こいつは……」
『僕ももう少し情報を集めたら、そっちへ行くよ』
胸騒ぎを覚えながら、クロノはアミティエの回復を待った。
☆
ホテルのベランダで、なのははひとり夏の夜風と戯れていた。
その小さな後ろ姿にアリサが声を掛ける。
「なのは、大丈夫? 撃たれたって聞いたけど……」
「平気。ジャケット着てたから」
(平気なわけないでしょ)
アリサの胸の中で不安はさらに大きくなった。
なのはの隣に並び、そっと横顔を覗き込む。
「でもなんか、思い詰めた顔してる」
まるで星の輝きを求めるように、なのはは夜空を仰いだ。
「助けなきゃならないひとを助けられなかった。悔しいよ……」
幼い顔つきを引き締め、きっと誰に対してでもなく自分自身に言い聞かせる。
そんな彼女を応援しかできないことが、アリサは悔しかった。
「まだチャンスはあるんでしょ?」
「うん。次はもう負けないし、絶対に助ける」
いつものちょっとした任務や、試作品のテストとは違う。今夜の作戦、なのはは笑って帰ってこられない――と、アリサには確信めいた予感がある。
(このカオ、最近しなくなったと思ってたんだけどな……このままどこか遠くに行って、そのまま帰ってこなくなりそうな、そんなカオ……)
以前はなのはに距離を感じることなどなかった。すずかと三人一緒に心地よい時間を過ごしていた。なのに、今はこうして並んでいても、同じ場所にいる気がしない。
ここで捕まえておかないと、もっと遠くへ行ってしまう――。
「あんまり気負いすぎるんじゃないわよ」
アリサは笑い、なのはのお尻をばしんと叩いた。
「ひゃっ?」
「ちゃっちゃと終わらせて、帰ってきなさい。夏休みは始まったばかりなんだから」
アリサに発破を掛けられ、なのはは照れ笑いを浮かべる。
「うん。ありがとう、アリサちゃん」
「どーいたしまして」
信じるしかない。なのはが無事に帰ってくることを。
そう思い、願いながら、アリサはなのはと一緒に夏の夜空を見上げた。
フェイトもリンディとともに外に出て、夜風に当たる。
「キリエさん……昔の私と少し似てるんです」
自分の台詞がフェイトには重々しいものに感じられた。単なる同情ではないキリエへの共感が、フェイトを煩悶させる。
「大切なひとのために必死で……夢中で、周りが見えなくなって。そのために、また大切なひとたちを傷つけて……」
少し似ているどころではなかった。
同じだ。今のキリエは昔の自分と、まったく同じことをしている。
「助けたいです」
だからこそ、フェイトはそう心に決めた。
「助けたいんです、キリエさんを。取り返しのつかないことになる前に」
リンディも真剣な面持ちで頷く。
「助けましょう。みんなで」
「はい」
同じ気持ちの仲間たち、そして母親がいることが頼もしかった。
スイートルームではやては包帯を取り、傷が消えかかっているのを確認する。
「よし、もう大丈夫や。リインは?」
「全然ヘーキですぅ!」
リインフォースは元気いっぱいにガッツポーズを披露した。
はやては服を着て、作戦会議のためにビジョンを立ちあげようとする。
それを制したのは、様子に見に来ていたすずかだった。
「まだだめ。はやてちゃんもリインちゃんも、あと三十分は休息って、約束でしょ?」
「ううん、平気。私が頑張らんことには――」
「平気でも大丈夫でもないっ!」
いきなり目の前で怒号が弾け、はやてもリインフォースも面食らう。
「え、ええと……すずかちゃん……?」
すずかの瞳から大粒の涙が零れた。
「なのはちゃんもフェイトちゃんも、ひぐっ、撃たれた、殴られたって聞いて……私とアリサちゃんがどれだけ心配したと思ってるの? ちゃんと聞いてってば!」
自分のために泣いてくれている。怒ってくれている。
そんな彼女のいたいけな気持ちが、はやての心を揺さぶった。
「歩けるようになったからって、何でもかんでも、ひとりでやろうとしないで……!」
狭まっていた視界が一気に広がるかのように、周りが見えてくる。自分も見えてくる。
「すずかちゃん。私は……」
八神家の家長だから、夜天の書の主だから。
そう思って、頑張ってきた。それ自体は間違っていないと、はやては思う。
しかし今、当たり前のことに気付かされてしまった。
「私は……小学生やったんやな」
クロノや守護騎士たちに自分で言ったはずの言葉が、はやてを苛む。
『とんだ失態や。申し訳ない』
『取り返すよ。失態のツケも、私の宝物も』
はやてたちにとって、確かに夜天の書はかけがえのないものだった。それを奪われたのは言葉通りの失態で、こうして状況を長引かせていることも、皆に申し訳ない。
けれども友達を泣かせてしまったことは、もっと情けなかった。いつも口癖にように言っている八神家の家長としても、夜天の書の主としても。
はやてはすずかと額をくっつけ、懺悔する。
「ごめんな、すずかちゃん。せやけど、やっぱり自分で歩けるようになった分は、頑張りたいねん。それだけ、堪忍してもらえへん?」
すずかは泣き止むと、涙の混じった瞳ではやてを見詰めた。
「うん……ごめんね? はやてちゃん」
「謝るのは私のほうやで? ありがとう、すずかちゃん」
ふたりの小学生は笑みを交わす。リインフォースも満足そうに見守っていた。
「なのはちゃんとフェイトちゃんのこともお願いね」
「任しとき。ふふっ」
「私もお手伝いしますぅ!」
頑張る意味を問いただされた、夏の夜――。