やっぱり鬼が好き
子どもたちとかくれんぼをする晴れた日曜日。
クスクス笑う声がどこからか聴こえてくる。そして、決してトレーサーでもなんでもない感受性の豊かでない私にすら分かる、子ども特有の軽い心地よい足音が此処彼処に聞こえる。子どもの足音とは、どうしてこうも、聴き心地がよいのだろう。
トテトテトテ。テッテッテッ。タカタカタカ。
揚げたての天ぷらを噛んだ時のような、体全体に染み渡る幸福感。
かくれんぼという遊びをするのは、なんと40年ぶりくらいか。子どもの頃のことを思い出す。単純な遊びでありながら、生きる本質を問われるような遊び。
隠れる方をやる時は、鬼の忍び寄る足音にたまらない恐怖を感じていた。息を潜め体を硬くし、しかし反比例するように心臓はどんどん高鳴り、鬼に聞こえそうなくらいの音に感じて仕方ない。冷や汗が出る。この恐怖といったら。
やっぱり鬼が好きなんだな。
最初にかくれんぼを意識したのは、映画サウンドオブミュージックのクライマックスのシーン。ナチス親衛隊のクルトが墓場でトラップ一家を探す場面。5歳のグレーテルがマリアの側で黙っているのを、よくまぁ、幼いのに頑張ってるな、という気持ちと、お願いだから黙ってて!みんなが見つかっちゃう!と、願い続ける気持ちとでいっぱいで夢中になった。恐怖。
そして映画アンネの日記。ゲシュタポの車の独特なサイレンの音が不気味で耳に残る。最後にドンドンとドアを叩く音、壊される音。恐怖。
私にとってhide-and-seekは単なる遊びでなかった。いつも鬼はナチスで、隠れる方はナチスから逃れるユダヤ人だった。
リアルなかくれんぼで、一番の恐怖のクライマックスは、ソファの下に隠れている時の、鬼の足が見える時。そして、ゆっくり鬼が屈む、徐々に鬼の顔が見え、目が合う。うわぁーーー!…
そしてその後は、悔しさは全くなく、それどころか、逆に見つかったことによる安堵感に満たされる。もう隠れなくていいんだ、という…
やっぱり鬼が好き。
そんなことを考えながら、小さな人たちが私を見つけるのを待っている。
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