子どもへの予算

子を産み育てることに主体的に(仕事とは別に)関わる人、つまり監護者は、どれくらいいるのだろう。

現在は年間出生数75万だから、75万✖️20年くらいとすると(些か乱暴な算出だが)、1500万人くらいとする。子育てをしている人は、全人口からするとおそらく1〜2割というところか。

少子化というのはただ人口が減って行くだけではなく、子育ての知識の積み重ねの断続を招く。

私が物心ついた40年前から日本は少子化に向かっていたし、さまざまな見識で知識人、学者のお歴々が指摘して来たと思う。

だが、少子化の歯止めは止まらず、止まるどころか加速してローリングストーンのように憚らない。

少子化は、ただ人が減るだけではない。
「ポルトガルのような成長もしなければ衰退もしない、観光客を受け入れて細々と淡々と過ぎる社会を目指せば良い」だなんて、浅はか過ぎる。(ポルトガルがそんな都合の良い天国だなんて聞いたことない)

しかも日本の場合、類を見ないスピードで進んでしまっている。

これによって起きる影響は「ああ、人が少なくなるね」なんて悠長なものではないのだ。
今はまだ、全盛期の遺物をほんの少しだけ引きずっているからマシに見えるだけで、ここから先を考えるととても平常心ではいられない。

このスピードで人口が減るところにより起こる現象について、学者は発信すべきだし、それをメディアは広く伝えて市民全体で丁寧な議論をすべきだ。

その上で市民全体で少子化の道を選ぶならば、私も従う。

しかし、今のこの、人口の半分以上の人が民主主義を放棄している日本人が、そこまで深く考えているとは思えない。ただボーッと昨日から明日へと生きてるようにしか見えない。

知識人や学者が無能だったのか?
メディアの責任か。
政治の問題か?


少子化はなぜ起きるか。
学者が分析をするが、なんとなく正しくもありなんとなく違和感も感じる。学者という存在を私ほど敬意の念を持って見ている人はいないと自負するほどだが、どんなに天才的な学者であろうとも、万能の神ではないということも、同時に腑に落ちている。これは決して知性を軽視しているのではなく、人間はそもそもそういうものだ。

誰か学者が分析したこと(またはその人自身)を錦の御旗か金科玉条のように「それが正しい」と無邪気に盲信するのは危険だ、ということだ。危険というか、人間の営みとして誤っている、とでも言い換える。
多数の有識者から多数の分析データを預かり、さらにその上でどうデータを生かすか、社会を設計するか、それは受け手であるこちら側の問題である。
そしてデータは多い方が望ましい。こちらの検討の余地が増えるから。

私個人は人権について私と意を同にしない学者はどんなに業績があれど信用しないので、今で言えば成田祐輔は好きではないが、彼の業績が、とか論文が、とか、そちらを悪意を持って指摘することはしない。彼がどうこうではなく、何しろ日本のメディアは、誰かを見つけるとその人ばかりに論客を集中してしまう傾向がある。この軽薄さにはゲーッとなるが、とにかくどんなに有能で知られた学者であっても、誰かに偏ることが問題だと指摘している。繰り返すが有識者は万能ではない。(そして成田祐輔が有能とも言ってない。)

ということで、少子化を分析し、未来を提案する学者(あまり見ないけれど)がすべて誤っていた訳ではない。ちなみに学者は予想屋ではない。
また、少子化を危険な信号または回避すべき現象だと全ての人が考えているのでもない。

学者はさて置き、メディアは相当責任がある。
見せ方に偏りがある。ジャーナリズムは、民主主義とセットだから、民主主義国とは言えない日本でジャーナリズムの芽が出ないのも仕方ない。
メディアを叩く訳ではないが、まるで北朝鮮の広報のようだ。その責任は非民主主義の日本全体にあるし、政治的無関心が温床になっているのは間違いない。

さて、政府は少なくとも「少子化」に警鐘を早い段階で鳴らしていたように記憶している。ポーズにせよ、大変大変、何かして食い止めなくては、と打ち出していたと、思う。

そして彼らの政策が大袈裟ではなく、丸々誤っていたのは間違いない。どこまでも頓珍漢な政策続きで、なんの有識者でもない私でも、政策がなんの足しにもならないどころか税金を無駄に使い(中抜き含む)、あまつさえ市民に「嗚呼、政府は少子化なんてなんとも思っていないのだな」と思わせ、失望させ、無力感を植え付け、次の選挙に行かせなくする作戦は非常に効果的だった。(私は投票をし続けるけれど)

重ねるが、少子化とは意外にも未来に禍根を残す(変な言い方?)、多数の市民のベネフィットという観点からはあまりよろしくない現象で、しかも、避けられないとすればそのスピードは出来うる限りスローでなくてはならない、ここはまず共有できたら。



少子化はなぜ起きるか。

女性が権利を主張するから、権利拡大したから、少子化になっていると見る人は少なくない。女性の社会進出と晩婚化、非婚化、少子化は無関係ではないと。

確かに産むのは女性なので、無関係ではないだろう。だが私の持論はそれとは異なる。それは最後に書く。

少子化はなぜ起きるかの前に、どうしたら出生数が増えるまたは今よりも緩やかなカーブで少なくするようにできるか。ということは、どうしたら産まれるか、である。

私は生まれついての女性のQOL向上、リプロダクティブヘルスの権利、さらに女性の権利拡大、それこそ米国最高裁判事が9人、全て女性になるまで、それらを支持して行きたい根っからのフェミニストである。

まず一番に、女性の本当の気持ちが優先されてほしいが、ひとまず、産まれない理由として大きく以下。

①産めない
②産まない

これは天と地ほどの差があるが、どちらにも、様々な、それこそ人の数だけ理由があるだろう。

ここで、①に含まれる「妊娠したくてそこに至ることが肉体的に困難である」というのは、最高に苦しいのではないかと思う。私は妊娠を希望してから妊娠するまで一年ほどだったがやはりその間、出口の見えないトンネルにいるような、やり場のない気持ちを抱えていた。
ここを、晩婚化という名前(何だよ「晩」って)のせいにするのはやめてほしい。
誰のせいでもないこと、妊娠出産は男たちが思うよりずっとデリケートなものであること、この辺りの教育が圧倒的に足りていない。初等から人権を含めた性教育の推進を求む。まずはここからだ。麻生太郎や森喜朗を見ていると本当に日本の教育は失敗の連続であったと、森茂樹や吉田茂(祖父だけど)も子育てを誤ったと、つくづく思う。

また、②の中には、子どもが嫌いで産み育てたくないという理由の人も一定数いる。

女性の産まない選択は今までもこれからも第一に支持して行く。

その上で、本編に入るが

①も②も、「産みたいが」という前置詞がつく人たち。
この人たちは案外、相当数いると踏んでいる。いや、なんのデータもないが、体感で。

少子化対策として社会は、この人たちへのベネフィットを推進して行けばよい。この人たちは、ある障壁により妊娠出産を断念したのだから、その障壁を社会で取り除き、そして背後から支えればあら不思議、問題解決だ。

そしてもちろんそこは政府も分かってはいるのだと思う。しかし、繰り出す政策の一つ一つに、力を感じない、インパクトがない、応急処置にしかならない、または、全く役に立たない、そして悪影響を及ぼす、そんなふうにしか感じられない。

おそらく、前提が間違っているのだと思う。
妊娠出産は、人権問題であるということと、女性の人権を蔑ろにしてきた結果が少子化に繋がっている、という前提を。

こんなのイスラエルとパレスチナの複雑怪奇な関係と比べたら肩透かしを喰らうほど単純明快ではないか。
女性の権利を向上させれば良いだけなのだ。

女性の権利は、
・政治、経済における意思決定の場の女性の割合を50%に。
・育児、家事、介護など、女性が主体的に背負って来た人類の営みの風潮を社会的に変えて行く。
・経済的な公平。

さらに、子どもの部分も女性の権利向上に密接に関わっているから
・高等教育まで教育費無償(真の意味で)
・公的教育への予算拡大
・子ども扶養控除制度の見直し

さらに言えば
・年金制度を改革し、自己責任論で放置しない。

まだまだあるが、最低限はこのくらいは必要だし、重ねるがロシアとウクライナの関係を解くという難解なことと違い、明日からできることばかりだ。なぜしない。

政府が打ち出す政策のアイディアの貧困なことときたら。
・婚活パーティーへの支援
・同窓会へ参加する支援
・子育て支援金としてクーポンを発行

何一つ、対策になっていない。この政策が本当に有効だと思っているのだろうか?結婚とか、乳幼児支援ばかりでお粗末だ。(それとて十分ではない)

こども家庭庁の予算が無駄に使われて行く。加藤鮎子みたいな厚顔無恥な人を大臣にしない勇気を持て。

そして、口先で少子化対策と唱えながらやることなすこと、子どもを産みたく「なくなる」政策ばかり。
・共同親権
・介護報酬引き下げ
・アフターピル承認せず
・養育費不払い
・性犯罪の軽視
・夫婦別姓進まず
・子ども食堂の増加

家庭内の問題に矮小化して行く体質が、少子化の原因の一つなんだってば。それを取り除こうではないか。何度も言うが宗主国と旧植民地とその内戦みたいな複雑な問題じゃない。今すぐできる。

旧統一教会の教義、教育勅語、これらの家父長制を軸とした思想が、与党をマルッと飲み込んでいるのだから仕方ないが、カルト宗教と手を切るまたは繋がりのある議員の公民権停止すればいいだけだ。つべこべ言うな。議員さんたちの好きなタイパ上げていきましょう。

と言うわけで、産めないまたは産まない理由が、経済的なことならそこに直接支援する、なんとシンプル。

さて、前述の、「女性の地位向上」が少子化の原因だということ、これは私の持論は、「半分は当たりで半分は当たってない」だ。

明治時代の女性に人権なんて無かった時代に、経済的自立して産まない選択をすることは難しかっただろう。それを思えば、隔世の感がある。

しかし同時に

女性の地位が「本当に」向上しているならば、私は少子化にならない、またはもう少し緩やかなカーブを描くはずだとも、思っている。

つまり、まだまだ向上していないということだ。
どうすれば良いか?

知識層の男性で黒人差別にはものすごい知見を持つのに、女性のことになると途端にバグる人が一定数いて、私の心を曇らせる。
これは男性はどんなに頭脳が明晰でも女性が日々遭っている不当な人権侵害に気付けないのだと、男性は自分がどれだけの下駄を履いているかを本当は分からないのだと、そんなことの現れである。

司法、立法、行政。経済界も含め全てに女性が就いた時、おそらく時代は変わる。(連合の吉野や高市早苗、片山さつき、新しいところでは加藤鮎子らは、私のいう女性ではない)
そのくらいのインパクトがないと、今のこのなんとなく社会を覆っている曇は晴れず、少子化が何かふわふわした小さな社会問題として処置もされず続くことだろう。もちろん小さなことから始めないといけないが、1945年のあの痛い敗戦でも根幹は変わらないほどの頑固な国民性は、それくらいして初めて目覚めるのかもしれない。


司法立法行政全てを女性にする、これは男性から猛攻撃が来そうだし、まぁ私も口にしながら無理だろうなとは思う。アイスランドには程遠い。

もう一つ、考えることがある。

長年日本は、子育てする環境にある世の半分の人たちが子育てを放棄してきた。その半分とは、もちろん男性である。それが最大の問題とも意識されることもなく。

上述の掛け算は、子ども1人に監護者1人の計算だが本来なら、精子と卵子両方の提供者が子ども1人の世話にあたるべきで、すると現在でも3000万人。一気に1/4くらいまで比率がアップする。

これが1990年だと出生数120万ほど、だから上の乱暴な計算だとなんと約半数が子育てに関われたことになる。やはりこの辺りより前、男性の育児放棄はかなりの問題を抱えたのだと思う。この時に子育て世代だった人たち、つまり麻生太郎や森喜朗その他大勢の現在偉そうにふんぞり返っている輩たちは一切自分の子どもに手をかけていない方に100万ルーブル賭けてもよい。

子育てを分業にし、家事と共に女性の役割として政策を進めた結果、子を育てたことのある人の数が減少してしまった。

弁護士資格者が減るのとは訳が違う。子育ては生命体としての命題だ。社会的意義のレベルではない。
子を産み育てることを自分事として捕えられない人がたくさん存在した、これはかなり問題があったと思っている。世界的な子育て知識欠如の人口が比較的に増えたことは、生命体としてかなりバランスが悪い。

ちなみに子育てしてて一番思うのは、命の脆さである。妊娠出産という自分の細胞のメタモルフォーゼはかなり衝撃であった。そして同時に、世の中に人の力ではどうにもできないことがあるのだと思い知らされる。
東大に行けないのは本人の努力不足というような考え方をする茂木敏充のような男性には、到達できぬ境地だ。

新生児を数年、ずっと世話をする。
この経験は、命の尊さに否応にも触れることになる。それを、するべき人がしてこなかった。その、してこなかった人たちがその人たちにとって都合の良い社会を設計し、核のボタンを押して来た。

ネタニヤフもトランプもプーチンも、金正恩もバイデンも、もちろん安倍晋三も岸田文雄も、イーロンマスクもベルナールアルノーもジェフベゾスも、もしも乳幼児子育てを主体的にしていたらと、よく考える。
タイムパフォーマンスや、コストパフォーマンスだけでなく、人の命について別の視点が芽生えるはずだ。
※このクラスの高額所得人たちがお金をかければ育児自体は楽勝なので、ある一定の条件を付与して体験しなければ、逆効果になるけれど。

世界の約半数が、精子を提供しながらも、子を育てることを放棄してきたその結果が、ウクライナでありガザ地区でありシリアでありスーダンであり…
私の言うことはエキセントリックだろうが、強ち全て誤りでもないと思っている。
一所懸命に赤子の命を繋いだあの数年間を経験すれば、戦争なんてそもそもする気が失せる。そしてこの命を産み育てること自体を軽視して、男一生の仕事と切り離し瑣末なこととして育児の地位を落として来たのは男性である。本来なら、何よりも優先しなければならないことなのに。

あまりにエキセントリックで誰も賛同してくれないがまずは

自分の子どもくらいは面倒見ようではないか。男衆よ。


女性の人権が軽視されているなぁと日々感じる事柄、そして政府の「違う、そうじゃない」について。

⭐️コロナ禍で、性風俗業者を給付金の支給対象外にした人と、性風俗をせっせと利用する人と、AVや公共広告での絵のあり方を女性が指摘すると顔を真っ赤にして「表現の自由!」と息巻く人とは、すべて同じ人なんだろうと思う。これも、人権教育と歴史教育が為されていないが故の現象だ。ちなみに私は、性風俗業者と従事者とでは分けて考えてほしい派だ。


⭐️どこの国か忘れたけど養育費払ってないと運転免許証やパスポートの更新が出来ないとこあって、そうだよなあ国が本気ならそういうことだって出来るよなあと感心した覚えある。(xの書き込み)

⭐️文科省「教員不足だ…」

「やりがいをPRしよう!」
「免許なくても教員にしよう!」
「教員採用試験日程を早期化しよう!」
「退職した教員に戻ってきてもらおう!」
「県外で説明会を開催して魅力を発信しよう!」

私「なぜ『労働環境改善』と『給与UP』という2大対策をずっと無視し続けるんですか?」
保育園もそうだが、成り手がいない時に、試験のハードルを下げたり、誰にでもできるようにするのは、子どもへの危険が伴う。子どもの人権軽視。(xの書き込み)

⭐️ペドフィリア犯罪の過去をもつ人が、再び教職に就けたり、裁かれなかったりする。

⭐️「日本学生支援機構の貸与型奨学金の総貸付残高が、2021年度末で9.5兆円にのぼる」
「学生を含めてだが、若者が総額9.5兆円もの借金を負っている。これは2006年度末と比べると、2倍の規模になっている」
「そのうちの7割は、利子までついた借金」
これに関しては国は本当に少子化対策をする気があるのかと憤りを禁じ得ない。こんなの、すぐにどうとでもできるじゃないか。

厚生労働省が、2023年の1年間の出生数が75万8631人と8年連続で減少し過去最少だったと発表したことを受け、林官房長官は27日の会見で「少子化の進行は危機的な状況。前例のない規模で少子化対策の強化に取り組んでいく」と今後の方針を述べた。

 厚労省によると、2023年の1年間で出生数は75万8631人で過去最少、婚姻数は48万9281組で戦後最少となった。林官房長官は、「少子化の進行は危機的な状況。若年人口が急激に減少する2030年代に入るまでのこれからの6年程度が少子化傾向を反転できるかどうかのラストチャンスであり、少子化対策は待ったなしの瀬戸際にあると受け止めている」とコメントした。

 今後の方針については、こども未来戦略に基づき若い世代の所得を増やすこと、全体の構造や意識を変えること、全ての子供子育て世代をライフステージに応じて切れ目なく支援すること、の3点を柱に「前例のない規模で少子化対策の強化に取り組んでいく」とした。

 また、出産や結婚出産を控える世帯で、低所得者、低所得などの理由でためらう人への対応については、「政府としても賃上げに取り組むとともに、特に若者の経済的基盤の強化を図ることが重要」とし、「希望する若者の正社員就職に向けて、非正規雇用から正社員への転換などを行う事業主へのキャリアアップ助成金による支援、ハローワーク等における安定就労に向けた就業支援などを実施していると承知をしている。また若年層を含め持続的な賃上げを可能とするため、三位一体の労働市場改革に政府を挙げて着実に取り組んでいる。若者の経済的基盤の安定を図り、若者が将来にわたる展望を描けるように引き続き取り組んでいく考え」と述べた。

ABEMA NEWS2024/2/28

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