日本人よ
引きずられる。
声の大きな人に、引きずられる。
声の大きな人が「いい」と言うと、なるほどね、となる。
声の大きな人が「そんなのダメだ」と言うと、そう言われてみれば、そうだね、となる。
どこかで見た光景だ。
昔観たドラマや漫画で、暴行された女性の方が後ろ指刺される場面があり、「なぜ被害者の方が悪く言われるのか」全く理解できなかった。スカートめくりでも良いが、捲られた方は恥ずかしい思いをしたのに、さらに「女の子なのに恥ずかしい」みたいな周りからの視線に押しつぶされたのは納得いかなかった。
今でもその気持ちは全く理解できないし、幼い私を「あなたは正しい」と、今の私が抱きしめてあげたい。※slat shamingやvictim bramingは日本だけの特殊な現象ではないですが
クラスの中で虐められた子が、虐めに遭ったからと、直接虐めていない子たちまで距離を取ったりした。「なぜ虐められた方がそうなってしまうのか」全く理解できなかった。
声の大きな人が「あいつはダメだ」と言うと、なるほどね、となり、そう言うふうに観てしまう。
自分の心に問うことなく。
(レイプの方はちょっと違うかもしれないが)これらも「声の大きい人の鳴らす笛に、自分の心が踊らされている現象の一つなんだろう。
これが、社会の空気というものなのだろう。
自分を持っていない人が多いと言うことなんだろう。
哲学がない、と言い換えても良い。
昨日、そんな体験をして、そんなことをふと考えた。
本の帯文の中でも様々種類があるが、
「〇〇先生絶賛!」
「〇〇賞受賞!」
という類の帯は、まさしくそう言う大衆心理を擽るものである。
なんと人はそのような言葉に弱いのか。
自分で考え選択する自由を放棄して。
自分で考え選択する楽しさを放棄して。
何が人間か。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?