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今の日本
子どもたちがデジタルに侵されている。
何十年も前から、注意喚起されてきた。
頭でっかちになり、知識は増えるが、いかんせん体感に欠ける子どもたち。
地に足をつけ、足の指を開き大地を踏みしめる。手指を使い道具を作り日々の食卓を整え衣服を編み出す。
木を切り石を採掘し住居を作る。
自転車を作りラジオを作り縄をなう。
ボールで遊び走り回り飛び回り全身を使って野山を駆け抜け、感覚を身につける。
体で覚えたことは、裏切らない。
それを子どもたちが体験し辛くなっていると言う。紫外線の問題もあり、真っ黒になって遊べない。公園で遊ぶのも禁止。
今の子どもたちは、体験したかのような錯覚を起こすバーチャルが主流だ。
バーチャルには、メリットもたくさんあるが、デメリットも確実にある。「体験したと思う勘違い」は、子どもたちを蝕む悪夢のようなものである。おにぎりは、手で握らねば。カブトムシの幼虫は、手で触れねば。魚は手で捕まえねば。稲は手で刈り、釘は手で打つ。火を起こす。それらは、バーチャルでは得られない。
それを考える時に、今の社会を思う。
古くは版権ビジネス、不動産に始まり、コンサルティングや、人材派遣や、中抜き、恫喝
そう言ったものに大金が流れる。
実際にはなにも生産していない虚業である。
これらが脳だとしたら、
現場は、手足である。
物流、教育、介護、作業員、農業など、一番体を張って働いている人たちへの出費は、渋られる。
その人たちがいなければ、社会、経済が回らないというのに。
末端にお金が回らない、つまり、頭でっかちで、手足に血液が回らない状態である。
こんな生産性のないところばかりにお金が回れば、市場経済はいずれ破綻する運命は免れない。
労働者が常に文化を作った。
五重塔もエッフェル塔もチェチェンイツァも、ピラミッドも大仏もスカイツリーも。
石を運びネジを閉める人がいなければ、成りはしない。
それを忘れている社会構造よ。
子どもたちが頭でっかちだなんて憂いてる場合ではない。
社会全体が、頭でっかちである。
脳だけでは、成り立たぬ。
手足の先まで、血液を回そうではないか。