雑記

なかなか美術館に行けなかったうちに、行きたかった美術展の展示期間が終わっていた。
なんでやねん絶対に行きたかったのにと、それに気付いて絶望する足で書店に行き、美術の本を一冊買った。私は相変わらず信じられないほどに貧乏なので、普段は古本屋で100円だか200円だかになった本を必死で買い漁っているのだが、たまにサラピンを買う瞬間が訪れる。気分がくさくさしている時である。我がで勝手に(本日は!!サラピンの本を!!!買うてもええ事とする!!!)と高らかに脳内で宣言してからサラピンをいかして頂いている。
書物にしては高い買い物だったため、レジに並んでいる時も、お待ちの方どうぞと声をかけられた時も、会計をしている時もひどく緊張した。いい大人がなんとも情けなかった。そのくせ会計の際、使うあてもないのに「領収書ください」と言ってしまった。領収書を受け取る時(どういうこと??)と思った。



イエルバブエナ、という植物を育て始めた。別名モヒートミントというハーブの一種である。
近所の花屋の軒先に安価の小さな苗が数種類売られていたので、一番背の高いものにしようと決めて覗いたらそれだった。なるほど家でモヒートを作ればいいのかとひらめき、すぐさま購入してベランダに置いた。
それから水をやるのが日課になり、調子の悪そうな葉はちぎり捨て、良さそうな葉はコーヒーに氷と共にぶちこんで飲む。おしゃれすぎ。ポパイで紹介されてしまうのではとそわそわしている。

未だにモヒートを作ってはいないし、まずうちにはモヒートを作って許されるようなコップなど一破片もないので道のりは遠そうだが、毎日自分が「ていねいな暮し」をしているようで気分が良くなり、また日々イエルバブエナの成長を見守ることは「自分にも毎日できていることがある」というくだらない安心感も手に入れることができる。
幼い頃、盆栽を眺めるおじいさんたちに「何がおもろいのん」と尋ね、ガーデニングを楽しむおばあさんたちに「邪魔くさないのん」と尋ねていた少女は、イエルバブエナという得体のしれない植物に安らぎを得るまでになった。
大人になってからの方がおもしろいものは増える。自分が60歳になった時、おもしろいと思うものはなんなのか、それが知れるのなら、色々な箇所がべらぼうに痛そうではあるが、60歳になってみたいと思う。60歳を迎えたときに「なんや全然おもろいもん増えてへんやんけ」としょげる事態だけはどうにも避けたいので、少しずつでも人として変化していきたいものである。



女友達がまた結婚した。
女友達の結婚報告というのは千差万別、十人十色、いつも素敵で楽しくおもしろい。うまく言語化できないが、報告を受けたらいつも「キェーッ!?」とか「シェーッ!?」とか言えて楽しいからだろうか。
今回の友人の彼氏はナイスガイで、ナイスガイゆえにずっとぐだぐだしていて、ぐだぐだしていることに友人も呆れており、私を交えて飲んだ時も、スーパーナイスガイではありつつしっかりぐだぐだしていた。

こう見えて、なんと私は分別がついている節があるので、あまり二人の関係性について世話を焼くような発言はしなかったのだが、3人でバーカウンターで飲んでいるときに話しかけてきたバーテンの若い女の子が友人の彼氏に向かって「そういえば前一緒に来てた彼女さんが昨日もきたんですけど、めっちゃのろけてましたよ〜」と言い放ち、私は肝を冷やした。
もちろんそのバーテンが言った「彼女」とは、本来彼女であるはずの友人を指しているものではなく、別の女のことである。友人は、昨日も私と飲んでいたのだ。友人はバーテンの若い女の子に向かって「は?あんた凄いこと言うとんやけど?」と言い、またそのバーテンの子が気の利かない子で「え?私凄いですか?えへへ」と笑っていて、また私の肝は零下百度へまっしぐらとなった。友人の彼氏はといえば、酔っ払っていて店内に流れるニルバーナに合わせて呑気に身体を揺らしていた。
そんな彼女が私に結婚報告した言葉は「あいつと結婚することなったんやけど笑らけるくない?」というもので、思わず私も笑ってしまったが、何を照れとんや友よ、かわいい女よ、私は嬉しい。女友達の結婚は勝手にいつも嬉しくなる。今日も今日とて、心からおめでとうなのである。



もう数年前から大変世話になっているプロデューサーさんとお会いした。
東京に来てすぐの頃、私のひとつのネタを見て面白いと言ってくれ、初めての単独ライブにも来て下さった、たった数人の関係者のうちの一人である。
それから何かと目をかけて下さり、私の業界人恐怖症のようなものがこの程度で済んでいるのは完全にこの人のおかげだというほどに勝手に信用させて頂いている方でもある。この方が誘ってくれる飲みの席はいつも落ち着いていて健やかで面白いので、随分前に油断して他の人に誘われた飲み会に行ったら気質の違いに驚かされたことがあった。それで当時の私は業界の大人と飲むことにひどく怯えこみ、もう絶対に行きたくないと話すと「それは大変だったけどそんなとこばっかりじゃないから、色々行ったら良いよ」と、生意気で突っ張り屋の小娘をやんわりとフラットなところへ導き直してくれ続けた、そういう方である。

久しぶりにお会いして色々と話をさせて頂いているうちに、目がじんと熱くなってきて我慢するのに必死だった。私なんて全然まだまだ、もっともっと頑張らねばならないのだけれど、ひとつ「良かったね」という言葉を聞けたときに、それは今まで全く聞けなかった言葉だったことに気付いてしまい、これまでの情けなさと、それでも見守り続けていてくれた事にはっとなって、ちょっと辛抱するのが大変だった。
少しでも世話になった人たちに「良かったね」と言ってもらいたいなんていうのはあまりにもおこがましい気もするけど、一網打尽に「良かったね」と言わせるほどに頑張らなければならないと、山積みの作業を目の前にして自分への最大の喝となってくれている。


やかましい????

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