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イエスの教えられた愛について考えてみよう

イエス・キリストは「愛」を教えられただけでなく、
りっぱな手本を残されました。
そのため、よく「キリストの愛の教え」という表現が使われます。
イエスの言われた「愛」とはどんな愛なのでしょうか。

「互いに愛し合う」という「新しいおきて」

イエスの弟子だったヨハネは師の愛について他の弟子たちよりも多くのことを記しています。
たとえば、ヨハネ13:34,35にはこう書かれています。

 「私(イエス)はあなたたち(イエスの弟子たち)に新しいおきてを
  与えます。それは、互いに愛し合うことです。
  私があなたたちを愛した通りに、あなたたちも互いを愛しなさい。
  あなたたちの間に愛があれば、すべての人は、あなたたちが
  私の弟子であることを知ります」

イエスはここで、「互いに愛し合うこと」「新しいおきて」
だと言われました。
イエスの弟子たちも守り行っていたモーセの律法(古いおきて)でも
「自分自身のように仲間を愛すること」が求められていました。(レビ19:18)
では、どういう意味で「互いを愛すること」が「新しいおきて」と言えるのでしょうか。

イエスの手本

それは、続く部分でイエスが「私があなたたちを愛した通りに」と言われているように、イエスが示された自分の命を与えるほどの自己犠牲的な愛は、
前例のない完全な手本であったためです。

もちろん、新しいおきてを与えられた、その時にはまだイエスは命を与えておられませんでした。しかし、天での恵まれた立場を後にして、この苦しみの多い地に来られました。
天の父エホバのご意志に従って、ご自分の完全な命を贖いとして与える、
自己犠牲的な歩みをして来られたのです。

反対に遭い、ののしられても「王国の良い知らせ」を伝えました。
とりわけ、弟子たちの友となり、天の父エホバのような愛を示されました。
親切に教えられました。他の人に教える手本を示されました。
彼らの間違いを正されました。

このような自己犠牲的な愛を互いに示すよう、手本を示して教えられたのです。

「愛」とは

ここでイエスが用いられた「愛」という語には、
どんな意味があるのでしょうか。
日本語では、男女間の愛も親子の愛も同じ語です。
イエスやヨハネが用いたのは、ギリシャ語の「アガペー」という語です。
ちなみに、男女間の愛は「エロス」です。
実はこの語、エロスは聖書中に一度も使われていません。
ただし、決してタブーという訳ではなく、聖書にも結婚関係内での親密な行為から喜びを得るように、という記述はあります。
それも、エホバ神が与えられた贈り物です。(コリント第一7:1-7)
でも、多くのメディアは歪められた、間違ったエロスを広めているのです。

「アガペー」はどんな愛か

すでに、イエスの手本として説明した通り、
「アガペー」は自己犠牲的な、原則によって導かれる愛のことです。
そこに愛情や温かさが含まれることが多いですが、相手の身体的な魅力や
優れた資質ゆえに生じる感情ではありません。
ですから、「アガペー」は自然に生じることはありません。
聖書を読み、神に祈り、聖なる力の助けを得て身に着けていくものです。
(ガラテア5:22,23)

このように、今多くの人が口にしている「愛」は、イエスが教えられたアガペー「愛」とは異なるものです。
イエスに見倣い、従うことによって自己犠牲的な愛を培っていきましょう。

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