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「オタク」と「イメージ」と「現実」

「オタク」この3文字の言葉を聞いて、あなたはどんなイメージを思い浮かべるのだろう?
もしかすると頭のなかにどこかマイナスのイメージが浮かんでいるのではないか?わかる。私もこれを書いている今、ふと頭の中にチェック柄の服をパンツにインした、見るからに不健康で太った気持ち悪い男性をイメージしてしまった。すまない罪のないチェック柄…。

ただ私はそれ以上に、「オタク」というのは何かに対して夢中になっている人のことを示すのではないかと考えている。例えば、日々の自炊にただならぬこだわりを持つ「料理オタク」や、自分の知識が増えていくことに喜びを感じる「勉強オタク」といったように…。もっというならば、そこらの野球少年も野球に夢中な「野球オタク」といえるのではないだろうか。

かくいう私も三度の飯よりアニメが好きといえる程のオタク、いわゆるアニオタと呼ばれるものだったりする。しかも前髪が目にかかるほどの長髪、よく着る服の多くは黒や紺、体重47㎏の不健康な体と、よく見られる超典型的な「陰」のオタクだ。実際、今私がこの文章を書いているパソコンの前にも「けいおん!」のフィギュアが鎮座している。やったね!オタクの条件コンプリートだよ!

そんなオタクの私だが、大学のとある授業で「自分の好きな作品」を一つ、クラスメイトに向けて発表するというものがあった。もちろん私はオタクなので「僕らはみんな河合荘」という作品を採り上げ、「河合律」というキャラが如何にかわいいかということを紹介したのだが、授業後そのことを友達に話すとただ一言「きっしょ」と返ってきた。もちろんこれは友達同士の気兼ねないやり取りもとい、じゃれあいだということは私も分かってはいる。実際、その言葉を受けて私は笑っていた。ただ、「オタクは世間一般からすると所謂『ヤバい奴』なんだな」とふと思ったことを覚えている。

このようにオタクと聞くと、はじめに聞いたようにマイナスイメージが浮かんだり、どこか忌避されるような傾向が今現在ある。しかし、これは仕方がないのかもしれない。人は自分の理解が追い付かないものに恐怖するものだというのを、どこかできいたことがある。この傾向もオタク=意味が分からないものだと思われているからこそ生まれているのだろう。

ただ一つ言わせてもらえるならば、オタクはそこまで難しくも怖くもない。ただただその対象に夢中なだけだ。しかも、大多数のオタクは、その夢中になっている世界と現実の区別をしっかりつけているため、思った以上に危険ではなかったりする。例えるならアニメで好きなタイプが現実の異性のタイプかと聞かれたら、「いや、そうじゃない」みたいな…。まぁ私は2次元でも3次元でも、黒髪ロングが好きなんですけどね。なんで大学生になるとみんな茶髪にしてしまうのだろう…。つらい…。

まあ、こんな感じでオタク、特にアニオタについて語ってきたわけだが、オタクを肯定的に捉えろとは口が裂けても言わないし言えない。そんなのは一方的な押し付けにすぎないし、嫌いなものは誰に何を言われようとも嫌いだからだ。ただ、これを読んでいる人がオタクだったらわかるかもしれないが、自分が好きなものを「好き!」と声を大にして叫ぶのは気持ちがいいし、夢中になれるものを見つけることができたなら世界は広がる。実際、アニメを知って私の世界は広がると同時に充実したし、前の段落で黒髪ロングが好きだと書いていた時なんてすごく楽しかった。

何が言いたいかというと、あなたもなにかしらの「オタク」になってみてはどうだろうか、ということだ。その対象は自分が本当に好きなものならば何でもいい。ただ、何かに夢中になるということは、あなたの世界をより美しく色づけてくれると私は思う。

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