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得た教訓と知識を地域に 石巻市流留・千葉正一さん(71)
元消防団員で石巻市流留の千葉正一さんは2年前に防災士の民間資格を取り、これまでに得た知識を地域に還元しようと奮闘する。東日本大震災時、団員としての使命感に駆られて身を危険にさらした経験があり、「団も自分の命を第一にし、その上での救助活動という方針に変わった。まずは自分の命は自分で守るが原則」と教訓を語る。【熊谷利勝】
大地震があった平成23年3月11日、千葉さんは、勤め先である魚町一丁目の水産会社にいた。津波に備えて他の従業員は避難したが、自身は残って社内を見回り、誰もいないのを確認してから車を流留の自宅に走らせた。千葉さんは「今、思えば消防団員という過剰な使命感があった」と当時を振り返る。
車は長浜海岸を通過。渡波の市街地に入ったところで第一波を見た。まだ避難していない人に対して車の窓を開けてクラクションを鳴らし、「津波が来るから逃げろ」と叫んだ。何人に聞こえたかは分からないが、後に「千葉さんのおかげで助かった」と言う人もいた。
万石浦学区地域防災連絡会の一員である千葉さん
自宅で団の服装に着替えた千葉さんは、国道に出て避難する自動車を誘導。足元で水かさが増していく。津波は海沿いの街を破壊したが、内湾の万石浦までは入って来なかった。万石浦そばの流留周辺は海側ではなく、魚町などを突き抜けた津波が陸側から来た。
逃げ遅れた2人の女性がおり、千葉さんは流れてきたプラスチックの青い箱に乗せて必死に引っ張り、人がいる民家に避難させた。活動に戻ろうとしたが、「消防団だからって行くことない」と止められ、翌朝までその家にとどまった。ずぶ濡れで凍えそうだったが、ダルマストーブがあったのが幸い。忠告を聞かなかったら、どうなっていたか分からない。実際、震災では避難誘導や広報に当たった団員が各地で犠牲になった。
勤め先は全壊したが、自宅は地震の被害だけで済んだ。道路が復旧してきた2、3日後に団活動に復帰し、主に行方不明者捜索の段取りなどをした。5、6月は交代で市役所に詰めて情報のやり取り。退職後は団活動に専念し、全国からの視察にも対応した。
石巻地区団長などを経て平成29年に退団。「少しでも地域の防災に役立って恩返しを」と行政区長の紹介で市が育成を進めていた防災士の資格を取得した。万石浦学区地域防災連絡会の一員として、市総合防災訓練などの機会に学校と地域の連携を進めている。
防災まちづくり 8段目
復興のゴールが階段の10段目とすれば、現在は何段目か。千葉さんは「8段目」と見る。工事を伴うハード事業は進んでいるが、防災まちづくりはまだまだ。排水ポンプ場整備が完全でないこともあり、昨今は冠水で孤島のようになる大雨が頻発。地震、津波だけでなくさまざまな災害に備える必要が出ている。それでも地域の防災訓練に参加する人の顔ぶれは変わらず、震災の記憶が薄れていると感じることがある。
9月に市内で震度4を観測する地震があった際、様子をうかがっていた千葉さんに対して、一緒にいた6歳の孫は言われるまでもなく真っ先に机の下に潜った。「保育所などでは真剣に教えていると感じた。大人も訓練しないと意識が薄れる」と身に染みていた。
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