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「実家の片付けが心の整理に」語り継ぐ3.11|2025②

東日本大震災から来月11日で14年になる。犠牲者は避難生活で体調を崩すなどした関連死を含め、約2万2千人。その半数は宮城県で、中でも石巻地方は5301人が犠牲になり、696人が行方不明のまま。目に見える形での復興事業は終わり、被災した人の体験や苦悩は心の中にしまわれている。伝えなければ忘れてしまう記憶。悲劇を繰り返さないため、さまざまな人の3・11を語り継ぐ。

津波の爪痕残す一軒家

 石巻市渡波に津波の爪痕を残す一軒家がある。家主は近所に住む彫刻家、ちばふみ枝さん。子どもの頃から過ごした実家で「実存の一部」と語るかけがえのない場所だ。【泉野帆薫】

 実家は家族や友人らの協力で、いまもゆっくりと修復作業が続けられている。ちばさんは「被災した家を片付けるのと震災に対する心の整理が同じ時間の流れにあった」と話す。

ちばふみ枝さん(43)

 震災時、ちばさんは埼玉県で暮らしていたが、実家の片付けで帰省するようになり、秋にUターンした。変わり果てた地元の様子を信じがたい思いで見つめつつも「心に鍵がかかったようでテレビで見ていた光景だ、という以上にしばらく感情が動かなかった」と振り返る。

 実家は長浜海岸から数百㍍ほど。2階建てで津波は1階の天井まで到達した。その証拠に室内の壁には第一波、第二波と波が押し寄せた跡が残り、骨組みがあらわになった天井からは時折砂が落ちてくる。震災時は4人暮らしで、当時、実家にいた祖母の千葉みつさん(当時82)が避難途中で津波にのまれた。

 「私も家族も家を壊すという発想は持てなかった」。被災した実家はいわば、けがを負った状態であり、手当てすればいつかは治る。アトリエや倉庫として使いつつ、波を被った被災物の砂を払い、整理するところから始めた。

 家と共に記憶を育んできた物の数々は処分に抵抗があり、きれいにしては写真に記録し、収納した。そうして片付けをしながら暮らす中で、たびたび涙がこぼれることがあった。

地域住民らを招き、みつさんの洋服を広げて眺めた(昨年5月)

 「おばあちゃんが亡くなったから?だとしてもこんなに感情が乱れるのはなぜだろう」

 震災の事柄に感情が動いているのは理解できたが、理由は分からない。頭の片隅でそれを考えながらも時は流れ、令和4年3月に福島県沖地震が発生した。

 丁寧に片付けてきた実家には物が散らばり、避難も経験。このとき、どこか漠然と抱いてきた地震や津波に対する「怖さ」を自身の精神的、肉体的な感覚を通してはっきりと理解した。「涙が出るのは震災がずっと怖かったから。やっと感情と思考がつながった出来事だった」と話す。

 それからは、徐々に実家を開放するようになり、アーティストだけでなく地域のお年寄りや震災を知らない子どもなど、さまざまな人が実家へ足を運ぶようになった。訪れる人は、空間に触発されるようにして、震災の体験や家の記憶、家族のことなどをちばさんに話して帰っていく。

 昨秋からは、友人の協力で本格的な修復作業が始まった。土壁をはがすなどし、土足で歩いていた砂っぽい室内は、スリッパで歩けるようになった。震災で傷付いた実家は、他者の力を借りながら家としての機能を緩やかに回復しつつある。

 ちばさんは「一人だけでは片付けも実家の開放もできなかった。私が心の整理に時間を要したように、震災との付き合い方はそれぞれあっていいはず。信頼できる人たちとゆっくり修復していきたい」と語った。

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