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4月24日にあった石巻南浜津波復興祈念公園市民活動拠点お披露目式。出席者約30人が見守る中、ごく簡素に執り行われた。
ある日の石巻南浜津波復興祈念公園。西側のアスファルトの遊歩道では、石巻高校陸上部の3人が、黙々とトレーニングに励んでいた。車が通る心配がなく、障害物がないので安心して走ることができるという。
石巻南浜津波復興祈念公園に植えられた約40種類の木々が、森の様相を呈するまで少なくともあと10年はかかるだろうか。
公園に人を呼び込むのに、お祭りほど刺激的なものはない。8日、石巻南浜津波復興祈念公園の四丁目北広場では第2回青空マーケットが開催され、約6千人が楽しんだ。
「まちと震災の記録を伝え、生命のいとなみの杜をつくり、人の絆をつむぐ」―。石巻南浜津波復興祈念公園の基本理念を踏まえたうえで、人が集まる場になるかどうかが最大の課題だ。
昭和の石巻、特に旧北上川沿いの中心地市街地は商業で目覚ましい発展を遂げたが、モータリゼーション(自動車社会化)進展に伴う都市構造の郊外拡大や200海里漁業水域設定などで商業機能が衰退し、人口も徐々に減少。
「石巻かわまちオープンパーク」と呼ばれ、親しまれる中央の堤防一体空間では、市から運営委託を受ける㈱街づくりまんぼうを中心に、人を呼び込むさまざまなイベントや仕掛けが繰り広げられている。このご時世ではコロナ感染対策を講じた上で、が前提となる。
石巻市の沿岸部は東日本大震災の津波で被災したが、「活力ある街の再生を」と行政や有識者、住民が協議を重ね、災害に強い新しいまちづくりに奮闘してきた。
老舗個々の創意工夫とともに、それぞれのオーナーが異口同音に発したのは「連携」。酒屋の四釜商店の社長四釜壮俊さんが取り組む「港町プロジェクト」は、石巻のほか、塩釜、気仙沼、名取と4つの港町と7つの蔵元がコラボした商品展開。塩釜の相原酒店の発案で、お互い苦境を乗り切るアイデアとしてまとまった。うち飲み需要にもマッチして現在、プロジェクトは第3弾まで進んでいる。
コロナ禍で団体客が見込めなくなった日本料理店「大もりや」では、年明けにも新メニューで攻めの姿勢に転じる。原点だったそば、うどんに立ち返り、究極のそばで勝負する。
いしのまき元気いちば=石巻市中央=の向かいに店を構える料理屋「松竹」は、8月から店先にテークアウト専門の窓口を設けた。「コロナ禍で離れたお客が戻ってくるのは難しい」と考えたからだ。集客という課題は、自ら客に近づくことで解決しようと動いた。
新型コロナウイルスによるパンデミックは、東日本大震災の被災地にも容赦ない。収束の気配を漂わせたと思ったら、今度は「オミクロン株」という脅威が現れた。
人を巻き込む環境と手法【全5回連載5/5】 「震災後、地域の芸術文化は一度立ち止まった。当時はさすがにそれどころじゃなかった。
徐々に戻った笑顔と活気【全5回連載4/5】 小康状態の新型コロナウイルス感染症。10月以降、県内1日あたりの感染者は1桁、またはゼロが続く。