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石巻日日新聞

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石巻市・東松島市・女川町の話題を掲載している夕刊紙「石巻日日新聞」のnote版マガジンです。とっておきの地域情報と過去記事などのアーカイブ。無料と有料記事があります。ぜひぜひフォ…
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#東日本大震災

「実家の片付けが心の整理に」語り継ぐ3.11|2025②

東日本大震災から来月11日で14年になる。犠牲者は避難生活で体調を崩すなどした関連死を含め、約2万2千人。その半数は宮城県で、中でも石巻地方は5301人が犠牲になり、696人が行方不明のまま。目に見える形での復興事業は終わり、被災した人の体験や苦悩は心の中にしまわれている。伝えなければ忘れてしまう記憶。悲劇を繰り返さないため、さまざまな人の3・11を語り継ぐ。 津波の爪痕残す一軒家 石巻市渡波に津波の爪痕を残す一軒家がある。家主は近所に住む彫刻家、ちばふみ枝さん。子どもの頃

「生死は紙一重で綱渡り」語り継ぐ3.11|2025①

 東日本大震災から来月11日で14年になる。犠牲者は避難生活で体調を崩すなどした関連死を含め、約2万2千人。その半数は宮城県で、中でも石巻地方は5301人が犠牲になり、696人が行方不明のまま。目に見える形での復興事業は終わり、被災した人の体験や苦悩は心の中にしまわれている。伝えなければ忘れてしまう記憶。悲劇を繰り返さないため、さまざまな人の3・11を語り継ぐ。 想定超えた津波避難 石巻市立山下小学校校長の熊谷賢治さんは震災当時、牡鹿半島東側の市立谷川小学校で3、4年複式担

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「言葉で誰かの支えに」 佐藤ゆりかさん

心を寄せる詩作 今も  石巻市のぞみ野の会社員、佐藤ゆりかさん(27)は、東日本大震災当時、湊中学校の2年生だった。2人の同級生が津波の犠牲になり、自宅や両親が営んでいた水産加工場も被害を受けた。「環境が全て変わって感情が分からなくっていた」。心の内を整理すべく、口に出せない感情を詩に託すようになった。  発災時は1人で同市大門町の自宅にいた。周囲の様子を見に庭へ出たところ、近所の人に声を掛けられ、車で避難所となっていた湊中まで乗せられた。

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語り継ぐ3.11(2024年)

関連死、行方不明者を含めて石巻地方で約6千人、全国で2万人以上が犠牲となった東日本大震災から、11日で13年になる。何かを失った悲しさや悔しさ、全国からの励まし、生きる希望。それらが全て、次の命を守ることにつながる。決して忘れてはいけない、あの日のこととこれまでの歩み。さまざまな人の「語り継ぐ3・11」をつむぐ。

「花園の夢と未来」 ①現状

 4月24日にあった石巻南浜津波復興祈念公園市民活動拠点お披露目式。出席者約30人が見守る中、ごく簡素に執り行われた。

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阪神淡路大震災から30年 石巻でも有志ら黙とう

浮かび上がる「1・17」  6434人が亡くなった阪神・淡路大震災は17日で30年となった。発災時刻の午前5時46分に黙とうがささげられ、石巻南浜津波復興祈念公園内の「がんばろう!石巻」看板前でも追悼行事が開かれた。【渡邊裕紀】

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震災5000日 追悼の灯り 記憶と教訓 次の世代へ

 東日本大震災の発生日から5千日となった16日、石巻南浜津波復興祈念公園内の「がんばろう!石巻」看板前で追悼と伝承の明かりがともった。約1千個のLED灯を並べ、中央部にはキャンドルの灯が揺らめいた。

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東日本大震災から5000日

歩み続け 伝え続ける 東日本大震災の発生日から数え、16日で5000日となった。大津波で甚大な被害を受けた石巻地方は復興事業で街が見違え、意図的に残された遺構以外に爪痕を捜すのは難しくなった。

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震災で沈下 今は隆起しすぎ

北上川で進む水辺乾燥化  東日本大震災の地震で広域的に沈下した地盤は徐々に元の高さに戻り、北上川河口部ではむしろ発災前より高くなっている場所が出てきている。それによって河川敷が冠水する頻度が低くなり、乾燥化が進む。このまま隆起が続けば、象徴的な水辺のヨシ原が外来植物群落に変化していく恐れもある。  国土地理院が管理する電子基準点のうち、北上川河口に最も近い「河北」の地盤高は、震災で57㌢沈下した。その後すぐに上昇に転じ、今年3月まで70㌢隆起。震災前よりも13㌢高くなって

能登半島地震から半年 震災恩返しの支援活動

石巻地方の住民 志賀町で汗  元日にあった能登半島地震から半年。被害の大きかった石川県の市町では、仮設住宅の建設とともに被害を受けた建物の公費解体が進められている。そうした中、石巻市、東松島市、女川町の社会福祉協議会は6月28―30日、志賀町に被災者支援のボランティアバスを合同で派遣。2市1町から25―77歳の男女19人が参加し、東日本大震災で受けた支援に対して少しでも恩返ししようと、壊れた屋根瓦やブロック塀を災害ごみの仮置き場に搬出する作業などに汗を流した。  参加者は

大川小で有料解説ガイド

震災教訓 第三者の立場で|指定管理者自主事業  東日本大震災の遺構である大川小学校で本年度から、指定管理者のスタッフによる有料解説ガイドが行われる。初回は9日で、午前と午後の定刻に現地で受け付ける。以降は不定期での実施を見込んでおり、主に案内するのは敷地内にある展示施設「大川震災伝承館」の遠藤裕文副館長(55)。女川町出身で、発災直後の大川地区の状況は詳しくなかったが、語り部の遺族や行政の記録に学び、来場者に約13年前の出来事を第三者の立場で伝える準備を整えた。  4月末

絵本の中で生きる命

行員の息子亡くした夫婦「ふしぎな光のしずく」出版  東日本大震災の津波で、七十七銀行女川支店に勤めていた長男健太さん(当時25)を亡くした田村孝行さん(63)、弘美さん(61)夫妻が息子の生きた証を残そうと、「ふしぎな光のしずく~けんたとの約束~」と題した絵本を自費出版した。健太さんの半生や津波の恐ろしさ、夫妻のこれまでの活動が盛り込まれた内容。夫妻は「次代を担う子どもたちに震災の出来事と教訓を伝えることが大事。命を守る大切さを考えてほしい」と望んだ。  発災当時、女川町

「今の石巻の姿伝えたい」 椋木りあんさん

震災報道に違和感覚え  上智大学2年生の椋木りあんさん=東京都豊島区=は、発災当時小学1年生だった。母方のそう祖父母や親戚が石巻市相野谷に住んでおり、現在に至るまで何度も石巻に足を運んできた。椋木さんは現在、大学でドキュメンタリー制作などを通してメディアを学んでいる。東日本大震災への思いが学びの動機付けになっており「卒業後は、石巻の現在を伝える報道に携わりたい」と夢を抱く。

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「守るべきはまず自分の命」 小海途玖実さん

津波で親友2人が犠牲  女川中学校の音楽教師、小海途玖実さんは女川町出身。発災当時は浦宿浜にあった女川第一小学校(現在は閉校)の5年生だった。家族は無事だったが、同級生2人を津波で亡くした。「教え子たちにつらい思いはさせたくない」。震災を知らない世代に出来事を伝え、命の尊さを訴える。

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