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石巻日日新聞

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石巻市・東松島市・女川町の話題を掲載している夕刊紙「石巻日日新聞」のnote版マガジンです。とっておきの地域情報と過去記事などのアーカイブ。無料と有料記事があります。ぜひぜひフォ…
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2024年3月の記事一覧

「言葉で誰かの支えに」 佐藤ゆりかさん

心を寄せる詩作 今も  石巻市のぞみ野の会社員、佐藤ゆりかさん(27)は、東日本大震災当時、湊中学校の2年生だった。2人の同級生が津波の犠牲になり、自宅や両親が営んでいた水産加工場も被害を受けた。「環境が全て変わって感情が分からなくっていた」。心の内を整理すべく、口に出せない感情を詩に託すようになった。  発災時は1人で同市大門町の自宅にいた。周囲の様子を見に庭へ出たところ、近所の人に声を掛けられ、車で避難所となっていた湊中まで乗せられた。

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100年フードに「石巻焼きそば」

文化庁 多様な食文化継承  文化庁が認定し、世代を超えて受け継がれる食文化「100年フード」に本年度、石巻市で食べ続けられている「石巻焼きそば」が選ばれた。これからの発展性を見込まれ、100年の歴史を目指すローカルフードに評価された。一方、都内であった「第2回100年フードサミット」では、桜坂高校の生徒2人が昨年度100年フードとなった「ほや雑煮」をPR。2年連続の認定であり、石巻の食に全国から注目が集まっている。  石巻焼きそばは、昭和初期に中国人の営んでいた市内の食堂

食と音楽で福呼び込む おながわ春のまつり

 「おながわ春のまつり2024」(同実行委主催)が23―24日、女川駅前商店街などで開かれた。23日は高台避難の大切さを後世に伝える坂道競走「津波伝承女川復幸男」を実施し、24日は町まちなか交流館の野外特設ステージを主会場に本祭を展開。地域内外から多くの人が訪れ、食や歌を楽しんだ。  同まつりは、震災後9年間にわたって実施した地域活性化イベント「女川町復幸祭」が前身。同祭の意思を継ぐ催しとして昨年「おながわ春のまつり」がスタートし、今回で2回目となった。  開会式で鈴木康

仮想のまちでお仕事体験

東松島で初・キミいろタウン 社会学び地域に愛着  子どもが主役のまちづくり体験「キミいろタウン」が24日、東松島市の矢本西市民センターで行われた。自ら運営する仮想のまちで働き、報酬で得た疑似通貨で買い物を楽しみつつ社会の仕組みを学ぶプログラム。同市で初開催とあり、子どもたちはさまざまな職種の経営者となって働くことの意義を学び、地域への愛着を深めた。  イベントは同市で活動するNPO法人いろどり・みんなのみち(浅野和久代表理事)の主催。団体は本年度、子ども実行委員会を立ち上

半世紀経て全線開通 七窪蛇田線が供用

線路越え市街地結ぶ橋  石巻駅から約600㍍西側のJR線をまたぐ山下中里高架橋の開通式が25日、現地で行われた。これにより、昭和41年3月に決定された都市計画道路「七窪蛇田線」は、58年の時を越えて全線開通。線路で分断された市街地間が行き来しやすくなり、交通量を分散させることで水押踏切を中心とした駅周辺の混雑解消や災害時の避難路、緊急輸送路としての効果が期待される。  七窪蛇田線は、かつて七窪の地名があった石巻市山下町二丁目の国道398号を起点とし、蛇田字新下沼の国道45

石巻地方の教員人事 小中学校270人異動

復興加配は減少の一途  県教育委員会は22日、令和6年度教職員人事異動を発表した。東部教育事務所管内の石巻地方は、退職者を除く小中学校の異動が前年度比9人増の270人。教職員の段階的な定年の引き上げで定年退職者はおらず、役職定年による校長から教員職への異動が目立った。(石巻日日新聞 3/22(金)3面に名簿掲載)

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「今の石巻の姿伝えたい」 椋木りあんさん

震災報道に違和感覚え  上智大学2年生の椋木りあんさん=東京都豊島区=は、発災当時小学1年生だった。母方のそう祖父母や親戚が石巻市相野谷に住んでおり、現在に至るまで何度も石巻に足を運んできた。椋木さんは現在、大学でドキュメンタリー制作などを通してメディアを学んでいる。東日本大震災への思いが学びの動機付けになっており「卒業後は、石巻の現在を伝える報道に携わりたい」と夢を抱く。

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「守るべきはまず自分の命」 小海途玖実さん

津波で親友2人が犠牲  女川中学校の音楽教師、小海途玖実さんは女川町出身。発災当時は浦宿浜にあった女川第一小学校(現在は閉校)の5年生だった。家族は無事だったが、同級生2人を津波で亡くした。「教え子たちにつらい思いはさせたくない」。震災を知らない世代に出来事を伝え、命の尊さを訴える。

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「津波はにくいが海は宝」 亀山輝雄さん

集落の世話役として奔走  漁業をなりわいとした石巻市渡波の佐須浜は、津波で大きな被害を受け、亀山輝雄さんは避難した人たちの世話役として奔走した。これまで震災を語ることを避けてきた亀山さん。風化が心配される中、「あの時は泣いだ。何にもなくなって、これからのことを考えると涙が出た」と向き合った。

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「一閃連働」でJFLへ 始動 コバルトーレ女川

 東北社会人サッカーリーグ1部のコバルトーレ女川は9日、今シーズンの新体制を発表する「キックオフパーティー」を女川町まちなか交流館で開いた。新入団4人を含む選手25人や葛野昌宏監督(48)らが出席。集まった自治体やスポンサー企業関係者ら約60人にJFL復帰を誓い、一層の応援を呼び掛けた。  今年のチームスローガンは「一閃連働」。攻守の起点となる選手の閃きにチーム全員が「連働」してゴールを奪うという思いを込めた。ホームタウン代表のあいさつで女川町の須田善明町長が「JFL復帰へ

続けることで原動力に

「いのちの石碑」建立メンバー 母校の女川中で講演  自然災害や津波から1千年先の命を守るため、女川町内に21基の「いのちの石碑」を建立した東日本大震災当時の中学生。そのメンバーが11日、女川中学校で震災を考える講演を開き、1―2年生70人が受講した。震災の記憶を風化させることなく、後世につないでいく大切さを学んだ。  石碑建立は、発災直後、女川一中(今の女川中)の1年生(現在24―25歳)が取り組んだ伝承活動。町内21カ所の浜の津波到達地点より高い場所に石碑を建て「有事は

「獣道含め有事の道を念頭に」 木島新一さん

チリ津波の経験生かす  東松島市宮戸の木島新一さんは、海抜12㍍の高台にある自宅で東日本大震災を経験した。平時から木島さんの家は有事に避難場所とすることを地域内で決めており、津波の襲来を予見した木島さんは、より高台に避難できるよう草刈り機を持って裏山へ。雑木を除去して簡易的な避難路を確保した。

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東日本大震災から13年 名を取り戻し帰るべきところへ

身元不明の遺骨27柱  2万2千人を超す犠牲者を出した東日本大震災から11日で丸13年となった。描いたまちの将来像は復興という形で具現化され、にぎわいも戻った。あの日を物語る場所は少なくなったが、失われた命の重さは年月を重ねても変わることはない。  暮らしと営みが一瞬で奪われ、大切な人を失った。生きたくても生きられなかった無念の命があった。「どうしていますか」と心で問う。在りし日の面影を浮かべ、深く祈る。今を生きる私たちだからこそ、できることはある。  石巻市南境の第二

石巻市田道町「はやしのとうふ」復活

手づくりの味に原点回帰  「はやしのとうふ」で石巻市民に親しまれた㈱林食品(林貞一郎社長)=同市田道町一丁目=。経営悪化で昨年廃業したが、長男の伸和さん(41)が商品名を引き継ぎ、個人事業主として「はやしのとうふ」を復活させた。

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