少し昔に映画を観に行った話
サブカルのどれか一文字でも齧っていたらその存在はもうとっくに知っているであろう8人組ユニット、ダウ90000。私も去年くらいからちょっと追っていて、単独公演を配信で見たり実際に劇場に観に行ったりしています。
先日、ダウ90000の第6回演劇公演『旅館じゃないんだからさ』が配信されていて配信終了ギリギリに観た。
舞台はレンタルビデオ屋さん。それぞれの恋愛が交差しながら物語が進んでいく。二人で観た映画の記憶が忘れられなかったり、とんでもない延滞が発覚したり。恋愛の中に映画の一つや二つがあるのは当然なのかもしれない。
配信を見終えて余韻にも存分に浸って翌日、同じく配信を観た人の感想を漁る。その中にこんな感想があった。
『感電しかけた話』という歌集を出している伊舎堂さんの感想。この感想に首がもげるように頷いた。
これは同じくダウ90000の「ピーク」というコント。
『愛がなんだ』、『花束みたいな恋をした』がセリフ中に出てくる。
多分、「Z世代」と後ろ指を刺された世代の恋愛映画といえばこの2つ。加えて『ちょっと思い出しただけ』
『花束みたいな恋をした』は劇場公開されてもう四年ほど経ったにも関わらず、今でもSNS上で論争が起きることがある。
ダウ90000のコントの中に『花束みたいな恋をした』が挟まれ、『花束みたいな恋をした』の劇中において「天竺鼠のライブ」が挟まれる。劇中にメタがあって、その中にまたメタがある。
ということは、ダウ90000を観た私はそれを挟んだ恋愛があって、、?と考えたところで思い出した。
そういえば私はダウ90000を知る前に、すでに『花束みたいな恋をした』を公開当時劇場に観に行った。あのとき私たちは男女4人で映画館へ行った。
ただし、みんな別々に。
4人の集まりは大学の部活の同期だった。同じ部活に入った同期8人。男女比率も極端に偏っていない。映画を観に行ったのは、そのうちの4人。
大学は片田舎にあったので、映画を観に行くには隣の隣の市まで行かないといけない。そこで、車を持っていた人に乗っけてもらって行くことになったのだ。
当時『花束みたいな恋をした』と同じ時期に『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』が上映されていた。そして、『花束』を観たい女1名=私、『花束』も『エヴァ』も観たい男1名、『エヴァ』を観たい男1名、『エヴァ』を観たい女1名、という構成だった。
側から見れば、お、なんか上手く分かれそうじゃんって思うことになりそう。ダウのネタにあってもおかしくないシチュエーションじゃんって。
しかし、私たちは本当にただ映画を観たかっただけだった。
その結果、映画館がある大型ショッピングモールの駐車場に着き次第解散。男女2:2で分かれて、買い物の時間で調整しつつ映画の上映時間になると一人でTOHOシネマズへ。当然の如く、それぞれがシアターが違うように上映時間をずらして観た。各々が一人で勝手に感動していた。
なんてストイックな。元から疑う余地もなく恋愛感情が乗っかるような関係性ではなかったものの、挟める映画も挟まない。私たちガチの映画部だったっけ?
みんなが映画を見終えて駐車場で再度集合。ソロプレイするだけで終えるのならまだよかった。しかし、さらにソロでの戦いが始まる。
駐車場を後にしながら、当然映画の感想の話す。『花束』の感想は無難なところに落ち着いた。
問題は『エヴァ』をみた奴らだった。よく分からないけれど、解釈が違って車内でちょっと口論になった。おおよそ気まずくなる車内。『エヴァ』を一切噛んでいない私が仲裁できる訳もなく、少し気まずいまま、夜ご飯はなぜか4人で同じ店に入って食べた。
恋愛をしたいときは映画を手段に関係性を築くというのは正攻な方法だ。だがしかし映画が先に来てはどうだろう。映画が目的になれば、それは亀裂を入れる鈍器になる。
↑これは映画を手段にした男の話
メタを現実に落とし込んだところで現実は現実。映画は映画で、人は人で、恋愛は恋愛。フィクションはフィクションの中をずっと突き進む。
この同期8人は卒業まで幾度となく戦闘体制になっていた。そして、それをナチュラルに繋げていたのは、映画に一切興味がない男だった。
これももう4年前のことだけど、私の脳内には丁寧に同期たちの思い出を圧縮することなく残しておきたいな、と密かに思う。