いろんな私
人の数だけ個性があって
人の数だけストーリーがある。
いろんな人たちがつながって
大きな輪ができると
それを『コミュニティ』と呼ぶ。
コミュニティに属していると
いろんな『私』が見えてくる。
そんな『私』の多様性が
奇妙かつ不思議で面白いと
悩んでもがいて楽しんでいる私がいる。
そんなことを改めて実感している今日この頃。
先日、四畳半神話大系という小説を紹介した。
主人公は『もしこのサークルを選んでいたら
薔薇色のキャンパスライフが広がっていただろう』
と常に嘆いている。
しかし、どのサークルに属していても事の顛末は同じ。
それでも、どの主人公も人生を思い切り楽しんでいた。
そんな主人公に共感した。
『大人になればすてきな人間になれるだろう』
『女子大に入れば人生観も変えられるだろう』
『恋人ができたらロマンチックなデートができるだろう』
『いつかはキラキラした大人になれるだろう』
そんなものは想像にして、幻影である。
現に、思い描いてた大人にはなれてない。
そのことがもどかしく、時に腹を立てるときもある。
小説の中で、八百万の神様が
「今ここにある君以外、何者にもなれないことを
認めなくてはならない」
と主人公に訴えている。
属するコミュニティでは人生簡単には変われない。
コミュニティから生まれる何かは
見つけられるかもしれない。
しかし、根っこの部分は『私』の核がある。
その『私』を生かし育てるか、憎しみ消すか。
読者さん、あなたならどっちをとりますか。
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