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2022.7.10 頬張る笑顔は信頼だと思ってる
一人暮らし、未婚、彼氏なし。
だから基本はひとりご飯。
ひびのごはんはアルモンデさらりとつくることが常だけれど、食べたいものをつくって食べているから満たされてる。
今日は気分じゃない…という時もたまにあるけど、そんな時は誰かを誘って外ご飯するのも楽しいし、閉店間際のスーパーで値引きされたお惣菜を買って得した気分になるもの楽しい。
毎日のごはんに何の文句も不満もないことは、生きていく上でかなり重要なことだと思ってるから、現時点で私は最強。
「食」に関わることを色々やらせてもらっている中で、定期的にいただくメニュー開発のお仕事がある。
特殊なシチュエーションで提供されるものなので、制約も多く、なおかつ原価もシビア。
追い込まれることは好きじゃない私だけど、このお仕事が大好きで、毎回ウンウンと頭を悩ませながらも楽しくやらせていただいてる。
メニュー開発やレシピ提案のお仕事は大好き。
だけど、一つだけ困ることがある。
それは試作したものを、ひとりでは食べきれないこと。
いや、食べきれないこともないんだけど…食べ続けるのが辛いの(本音)。
美味しいうちに食べたいけど、一度で食べるなんて到底無理な量。
そんな時、頼りになるのは無防備に私のご飯を食べてくれる友人たちだ。
何を食べさせられるのかも、それが好みに合うのかも、そもそも美味しいのかもわからないのに、
「試作がたくさんあるから、食べに来てー」
って連絡すると喜んで来てくれる、有り難い存在たち。
きれいに平らげて、きちんと感想をくれて、さらには感謝までしてくれる。
無防備で愛らしい存在たち。
「食べる」って行為は、幸せや喜びとして語られることが多いけれど、ほんのほんの紙一重で「死」に繋がる好意でもある。
完全犯罪すらできるって、思ってる。
わかりやすい一瞬の毒殺ではなく、少し時間をかけて寿命を縮めていくことなら、簡単にできる。
毎日毎食、少しずつ塩分を増やしたり、酸化した油を与えたり、添加物だらけの加工食品を食べさせていたら?
10年くらいの寿命を奪うことなんて、簡単だよ。
誰かにご飯を食べてもらう、ということが仕事になる前。
ただただ友人たちに手料理を振る舞うことが趣味だった頃から、これだけは絶対に守ると心に誓っていることがある。
私のごはんを食べてくれる、そんな無防備で有難い人が、1日でも長く幸せに暮らせる料理をつくる。
自分でつくったものや家族がつくったものじゃないご飯を食べることも、多い時代だ。
いやむしろ、誰がつくったかわからないものを食べることがほとんどなのかもしれない。
毒を盛られる心配がない、いい社会。
そうかもしれないけど…そんなに無防備で大丈夫?
日々そう感じているからこそ、無防備に私のごはんを頬張る人の存在は大切だ。
すっごく大切。
美味しい!の笑顔は、私への信頼の証だと思ってる。
そして何よりも私を幸せにしてくれるもの。
その笑顔を何度でも見たいから、私はこれからもずっと誰かにご飯をつくってく。
やめられないとおもう。