「ひろがるスカイプリキュア」2024年1月21日放送回考察
「ひろがるスカイプリキュア」が良すぎて朝からしんどい。来週がいよいよ最終回だ。
2004年から始まったシリーズアニメ。「プリキュア」という概念を継承する、毎年違うキャラクターが、それぞれの世界線で悪と戦う美少女戦士作品である。本作はシリーズ20周年を記念する特別なプリキュアで、今までにない挑戦と原点回帰が多く見られた。
最初にファンを驚かせたのは、主人公の女の子が「青」ということ。そして18歳の専門学生や男の子もプリキュアに変身するということ。地球での学校生活がは大幅カットされ、主人公が生まれた「スカイランド」という異世界が中心に描かれた。「ヒーローとは何か」がテーマで、「強さ」を第一とする敵たちに対して、その本当の答えを視聴者とともに探っていく。
敵の全貌は最後の最後まで謎に包まれたままで、序盤に倒した敵たちが改心しプリキュアたちと共闘する姿には胸が熱くなった。ラスボスかと思われた女帝は従者に記憶を改ざんされプリキュアを憎んでいただけで、従者からの「愛している」の言葉さえ嘘であったことに呆然自失する。黒幕だった従者は強く優しきヒーロー「キュアスカイ」の体を乗っ取る。これが本日の放送の「ダークスカイ」の誕生である。
片方の翼がない堕天使ダークスカイは、友情という光の力によってダークエナジーの渦から帰還する。完全には堕ちなかったのである。ここでのダークスカイとキュアプリズムのツーショットは初代プリキュアの「ブラック」と「ホワイト」を彷彿とさせる。キュアプリズムは「ヒーローとは何か」のひとつの答えを導き出す。「信じて待っている人がいたら何度だって立ち上がる」。大切な人を守ることも、信じて待つことも、ヒーローの責務なのだ。
本作が発表された一年前、虹のモチーフを見てまず最初に「多様性」という言葉を思い浮かべた。てっきり「違いを認め合う」みたいな説教臭い作品になると偏見をもっていた。あらためて土下座して謝りたい。たしかに色々な年齢や性別、立場のキャラクターが登場するのだが、決して差異を個性として自我を押し通すような展開は見られない。それぞれが夢を持ち、それぞれが誰かのために頑張る。しかし誰かのためがうまくいかないときもある。スカイは憧れの人を追いかけて、挫折し、自分の弱さを知ることで自分にしかないヒーロー像を手に入れるのだ。
そこでテーマを掘り下げてくれる存在が「キュアマジェスティ」である。彼女は登場時は赤ちゃんの姿をしたプリンセスだった。赤ちゃんの不思議な力によってプリキュアは増え、マジェスティは仲間たちに支えられて心も体も成長する。物語の中盤で、実は彼女は「スカイランド」の王様お妃様の子どもではないことが分かる。彼女は300年前のスカイランドのプリンセスが「星」となり、地上に送り出した「分身」であり「願い」であり「希望の光」だったのだ。プリンセスだからといって物語の中心というわけでもなく、最終決戦ではスカイとプリズムの盾になって敵と戦い、自分の存在意義を見出すのだ。彼女は光の点を繋ぐために生まれきたプリキュアだった。赤ちゃんの姿で養育されることで、人と人とを結びつけていく。人は誰だって赤ちゃんだった。大人に守られながら成長し、大人はそれを通して他人との関わりをひろげていく。マジェスティは、アイデンティティの不確かさ、歴史を繋ぐために生まれた儚さ、仲間を求める気持ちが作り出した寂しさと仲間の尊さを一挙に引き受けたキャラクターなのだ。
愛はひろがる、関係はひろがっていく。プリキュアとは強さではなく、愛で悪を包み込むもの。しっかりとプリキュアらしさをおさえ、新しいチャレンジをたくさん盛り込んだ本作は間違いなくプリキュア史上最大級の名作である。来週の最終回はスカイとプリズムたちの別れが描かれるだろう。はやく見たいような寂しいような一週間だ。