【暴論自然】非文化的生活への獲得免役

移動が制限された
なんとかなるとわかった。
それもそのはず
20haもあればその中で数世帯が半永久的に暮らすことは可能なのだ
人はそれをかつて「村」と呼んだ。
それでも村同士の交流はそれなりにあっただろう。

つまり、食料の完全自給は「文化」には入らない。
自給する文化はあり得ないのだ。
人はそれを非文化的な民族と呼んだりする。

自給圏とかいう組織はズブズブに輸入で生活をまかなっている。
構造物材料と技術の輸入だ。

自給と文化は二律背反である。

自給する状態を「自然」と呼ぶのだから。


    ~~


さて、この次に制限されるものはなんだろうか。

・大規模農業
すこぶる土地面積当たりの生産性が低い。

・中規模工場生産
妙な化学物質を使いすぎる

・道路
移動が少なければそんなにいらない

・筆読能力
信頼関係で代用が利く

・微積
いらん

・電気
夜空が光るだろう

・ガス
ビルが生きた木に変わるだろう

・水道
山河海を綺麗にする気が出るじゃないか

・教養
生活の智慧だけでもなんとかなる

・文字
口語だけでもなんとかなる

・洋服
代わりに毛皮と蓑と麻と綿

・家屋
代わりに森に棲むか

もうこれ以上なくなったら獣以下かな


なーんだ。

文化とは、あるようでなにもないな。


この先なにがどうなろうと、

責任を負う必要も、
栄華を誇る筋合いもないかもしれんな。

たぶん、天罰は随時誰かが受けてる。

何が何の天罰なのか、

人がそれを知らないだけ。


得たものを失わないと、
あるものがあることにすら気付けない。

あるものがあると気づいたら、
そのときもはや得失はない。



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