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「常識とは18歳までに身に着けた偏見のコレクション」。アインシュタインに学ぶ常識からの脱却。

おはようございます。

今日も風が強くて散歩が地獄でした(笑)でも習慣になっているので、毎日やってしまうのですが。

習慣化するとなんでも続きますね。これはそのうち記事に書きたいと思います!

では本題です。

私はアインシュタインであったり、エジソン、吉田松陰など、時代に革命をおこしてきた人物をものすごく尊敬しています。

それはもちろん何かを発明したであったり、解明した、他国の技術を惜しみなく学びに行ったなど、行動はそれぞれ違いますが共通する部分で「常識」に囚われないというマインドがあったということです。

私は最近アインシュタインの言葉で「常識とは18歳までに身に着けた偏見のコレクションである」というものを知りました。

すごく自分の中にスッと入ってくる言葉で、現代においても常識にとらわれて生きている人が大勢います。というより、大勢が同一の考えを共有することが常識なのであって、常識=マジョリティ(多数派)の関係になります。

しかし時代を変えてきた人の中に、マジョリティが正解として生きた人はいません。常識を疑い、本質を考えた人が時代を変えています。

では常識という現代の考え方にどう向き合い、どのように生きることが自分らしい生き方ができるのかを考えてみました。

なぜ常識にとらわれるのか

まずはなぜ人間が常識にとらわれてしまうのかを考えてみたいと思います。

それは「安心」を得たいという感情が原因にあるのではないでしょうか。

人間がほかの動物とちがうところは「思考」することができ、社会的な暮らしをできるところが人間の優秀さを表しています。

社会的に生きていく上で重要だったのは協調性であり、協調性を言い換えれば「みんなと一緒」の考えだったり、行動をすることと認識しています。

しかしそれは「誤認」です。

常識にとらわれてしまう人の考え方は、多くの人が賛成するものやいいと思うものが「善」であり、その他は「悪」のような極論の考え方があるような気がします。

本来の協調性はみんなが一緒であることだけを抜き取るのではなく、自分の意見と他者の意見を総合的に判断し、相手を尊重しながら自分の意見と調和を図ることです。

ここの理解がみなさん強弱が様々であるとおもいますが、周りの意見を鵜呑みにする「常識」の考え方は人生の幅を狭くしてしまうことを懸念します。

歴史を変えて来た偉人はみな「非常識」

これは「普通じゃないことに悩む大人たち」という記事にも書きましたが、世界の偉人たちはみな「非常識」であると思います。

なんとなく「非常識」という言葉だけを抜き出すと、とんでもない思想や考え、ろくでなしなどのマイナスなイメージが出てきてしまいますが、本来非常識はマイナスな言葉ではないと思います。

辞書で常識という言葉を調べると、「一般人がもつ共通の考え方」のようなニュアンスの言葉がどの辞書にもかいてあります。

そうなんです。常識とは一般人(普通)の人がもつ考え方であって、非常識であることは価値を持っているという考え方ができます。

人様に迷惑をかけたり、傷つけたりしてしまうことは良くないですが、世の中の普通に疑問を持ち、世間の常識を変えたいと思うことが偉人なんです。

感情に流されず本質をとらえる力をつける


前述のとおり、人間の多くが多数派(マジョリティ)の考え方に賛同し、少数派(マイノリティ)の考えを排除しようとします。これが世間の「常識」と「非常識」の認識と同義であります。

常識から外れた考えを言う人に対して感情的になる人を良く目にしますが、それは非常に不健康だなと思ってしまいます。

一番いい例が親子の話ですね。親が子供に対して、「それはダメ」「みんなやってるよ」「それはおかしい」など自分に価値観を押し付けてしまう場面はよく目にしますし、自分も含め、みなさんも経験があるのではないでしょうか。

こどもの事を思っていってしまうのですが、これは親の常識をこどもに刷り込む行為であることに違いはありません。

もっと言えば親の世代の常識の刷り込みであって、現代の常識とも乖離している可能性もあります。

親の言う事を守ることは必要な部分もありますが、親として考えなければならないのは「子供の将来」です。

自分が守ってきた常識だから子供にも守らせるという視点はずれていて、子供に与えることはその常識をどう捉えるかだったり、自分ならどうするなどの主観的な考えを持たせてあげることではないでしょうか。

「常識だからあたりまえ」や、「みんなやってるし普通だよ」のような思考停止状態にしないためにも、常識に対して感情的な考えを捨て、時代に合う本質的な見方が出来るような伝え方がいいとおもいます。

これは当然大人である私たちも同じであり、常識だからと思考停止するのではなく、本質を見抜く力を身に着けることで人生が豊かになると確信しています。

常識に異を唱える勇気を持つ


今の現代人に必要な力は「勇気」であると思います。

常識が悪いのではなく常識を鵜呑みにすることを問題視していますが、実は潜在的には多くの人が鵜呑みにはしていないのかもしれません。

本当は常識に対して疑問をもっているのだけれども、仲間外れになるのが怖い、自分の考えが間違っているかもしれない、波風立たせたくないなど「勇気」が持てないのが原因であるかもしれません。

この勇気を持つという行為は時間がかかりますが、方法はあります。

それは「知識をつける事」と「思考を止めない」ことです。この2つを日々少しづつでもいいので実践し続けることが、常識に縛られない生き方へのプロセスになります。

世間の常識がなぜ常識になったのかを知ることから始めると背景が見え始めます。そこから自分で思考することで、自分ならこうする、この常識には賛成など、自分の考え方が見つかります。

この作業を繰り返す事で自分の考え方のバックボーンが構築され、自信を持って自分の意見を発信できるようになります。

常識というものに囚われない生き方は、勉強と思考が重要であると考えます。

まとめ

本日は常識について考えていました。

常識としてみんなが思うものを身に着けることは楽なのかもしれません。

しかしそれでは自分の考えや意見は言えなくなってしまいますし、自分の存在意義も見失ってしまう可能性もあります。

常に思考し、勉強し続けることでその他大勢から抜け出すような存在になってください!

有難うございました!

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