
日本の「貧乏」とは相対的なもの。考え 方次第で人生は豊かになる。
おはようございます。
本日は「貧乏」といワードをどのように解決していくのかを考えていきます。皆さんも貧乏にはなりたくないですし、自分が今貧乏と思っている方は抜け出したいと思っていますよね。
現代の「貧乏」は相対的なものとしてとらえています。アフリカなどでいう「貧乏」は、実質的貧乏と分けられると思っています。
その意味するところは、日本でいう貧乏は誰かと比較して「贅沢」ができない、「いい暮らし」、「高級ブランド」が買えないなどの他者との比較から生まれるものです。今の時代SNSが発達して、様々な方の暮らしが見える化されましたのでキラキラした暮らしの方を目にする機会は圧倒的に増えました。そこに差を感じて私は貧乏ですという方が増えた気がします。
一方でアフリカなどの貧困国といわれるところの「貧乏」は、実際に命の危機を感じるレベルであると感じます。昔の日本で言えば「飢饉」のような状態が、常態化しているイメージです。現代日本では「飢饉」はありえないですが、貧困国ではまだまだ食糧危機な状態は存在します。
日本とアフリカの「貧乏」の認識には、明らかな差があります。日本はいかに贅沢が出来るかどうかを基準に貧乏が設定されているのに対し、アフリカは生きるかどうかの基準に貧乏があります。
日本は本当に貧乏なのでしょうか?手取り15万で苦しい生活をしているなどいろいろな価値観と生活感の方がいますが、生き死ににかかわるようなことはほぼないでしょう。
考え方なのですが、今の一般人が食べているものは300年前のお殿様が食べているものの10倍は美味しいし、当時から見れば高級なものを食べているようです。
このことからいかに日本人は誰かと比較し、自分は贅沢できていないという判断のもと「貧乏」認定を、自らしている印象です。人間は贅沢することで自分の立ち位置を確認する動物のようです。その意味は、集団の中で「贅沢」できる自分を確認し、生存確率が自分は高いと認識したい本能からきていると言います。
貧乏とは本来誰かと比較するものではなく、自分の生活の中で自分が裕福だと思えば収入には関係しないとおもいます。年収300万で裕福だと感じる方がいれば、1億円稼いでも裕福だと感じない人もいます。こればかりはお金ではなく、自分がいかに浪費しているか、ものに対しての価値観が他者より強いかで決まります。
このような内容から自分の考え方次第といいますか、お金の使い方で生活の幸福感はかわります。
本当に満足なくらしはあなたの心にあります。
ありがとうございました!