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多様性を考える。多様性を容認するということは「公平」に生きるということ。

おはようございます。

 本日は「多様性」に関して書いていきたいと思います。多様性という言葉は、現代社会で聞く機会が増えたと思います。色々な意味での多様性があると思いますが、多様性を尊重してみんなで一緒に社会をいいものにしていこうという流れが広義な意味であります。

 会社というコミュニティで考えると、様々な人種や身体的特徴、性的指向などを容認し、イノベーションを起こしながら、企業成長に繋げていくというのが目指す姿だと思います。

 私自身も性的指向や精神的疾患を持っている一人として、多様性の部分に入ってくると理解しています。正直、数年前に比べるとだいぶ生きやすい世の中になったなと思います。世の中の流れとしてはいいと思っていますし、「公平」と見ることができます。

しかし世の中では、「多様性」を少し違った意味で捉えてしまう方が存在するのも事実です。

 例えば働くという観点から見れば、マイノリティに属する方が面接に来た時に一人の人間として、差別的な見方はしてはいけません。差別というのは、マイナスな意味ではなく、マジョリティの方と同様に捉えて面接をしなければなりません。よくも悪くも公平に扱います。

 企業にとって面接の際の採用判断基準は、コミュ力やスキル、伸びしろであって、多様性の部分はあまり関係ないと私は思います。もちろん人種の違いなどの多様性要素は、働く上での創造性を創出することができるかもしれません。しかし、実際は前述のとおり個人の能力に依存します。面接官はそのような目線で捉えなければなりません。

 トイレの問題や、服装、文化の違いを許容できる会社の設備とルールを構築しなければなりませんが、これからは全世界共通のものになると思います。その垣根を越えてしまえば、あとは個人の能力とスキルで判断し、あくまで「多様性」と呼ばれるものはオプションです。八重歯があるとか、背が高いとか、髪の毛が短いとかそんなレベルであると思います。日本人は人と比較したり、人の事を観察するのが好きな人種なので、表面上は多様性を容認しているように見えて実際は・・・変えていくべき日本人の特性ですね。

 ここでは面接に関して話を進めていきますが、マイノリティの方に関しても考え方を変えないといけない部分はあります。面接で不合格であった際に、自分のスキルや能力不足にもかかわらず、マイノリティを公表したので落とされたという認識をしてしまう人がいるのは事実です。そこはマジョリティの方と公平に評価されていて、あなたがその会社に必要であるか、必要でないかを判断され、結果が出たことを認めるべきですね。

 会社はボランティア活動ではないです。会社が給料を払うのは、その給料に見合った働きをしてくれる人に払うのです。多様性などという部分はたいした問題ではなく、成果を出してくれる人財が欲しいのです。成果を出す人、出さない人など、会社にはさまざまなひとが働いています。それも広義な意味では「多様性」でしょう。

 多様性が容認される世の中になり、マイノリティとして「足きり」のような状態がなくなったのは素晴らしいことです。今後の世の中の流れは、もっと個人のスキルと能力にフォーカスされる時代が来ます。つまり、個人資本が少ない人は淘汰される時代です。今まで多様性の部分で足切りをされていた人も、同じ土俵に立ち、競争相手になるのです。

 つまり多様性を容認していく世の中は「優しく」はないです。厳密に言えば、成長を止めた人から脱落していくと思います。これが「公平」です。加えて自分に強みであったり、魅力を理解することも重要です。それも広義な意味での多様性なので、これからの世の中での強み変えていくべきです。

 努力し、成長しようと頑張る人にマイノリティもマジョリティもありません。が、なにも努力もしない人には多様性社会は厳しいものになるでしょう。

 私は止まりません!みなさんも1日5分でも10分でもいいので、自己研鑽の時間を設けると、この社会で生き抜く力がつくと思っています。

では。

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