戻らない時間
こんばんわ。
今日も今の私の気持ちを書いていこうと思います。
タイトルはネガティブに見えるけどそんな内容ではないので安心して読んでくださいね^^
時間の感じ方
本当に日に日に時間が過ぎるのが早く感じている今日このごろ。
小さい頃は1年が過ぎるのがもっと長くて、四季もちゃんと感じられていたような気がするんだけど。年々、あっという間にそれぞれの四季が終わってしまう。
どうしてなんでしょうね。今年もあっという間に年末。(完全に消化不良な苦しい一年だった。仕方がないけれど。仕方がないと思うしかないのだけれど。)
どんな形でもどんな環境でも生きてさえいれば、なにかしら経験してきたことが蓄積されるし、蓄積された分感動できることも少なくなる。
特に日常においてはそうだよね。日々は基本的な流れの繰り返しになる。
新しいことは自分からきっかけを作っていかなければ出会えないし、経験できない。
仮に新しいことに出会えても、小さい頃ようにきらきらした感情に出会えることって本当に少ない。
当たり前に過ぎていく日々が、時間を早く感じさせてしまっているのかな。
昔より時間はない。でもやりたいことは増えていく日々
結婚して子どももできて自由な時間も限られているし、行動範囲も完全に狭くなった。自由に使えるお金も少ない。これに対して不満があるわけではない。(概ね不満はない、と言っておかないと嘘になるかも。笑)
本当になに不自由なく、毎日食べて、大好きなコーヒーやお酒を飲んで、家族で笑って、少しずつでも貯金できて、本当に穏やかな幸せな日々を送っている。
それができているのは紛れもなく、夫のおかげだし感謝も心からしている。こんな日々とは無縁だと思っていた2年前の私に、今の私は本当に幸せだと伝えてあげたい。
なのに。なのにだ。
独身の頃よりもやりたいことが増えている。なぜだ。
独身のころだったらやりたいことをある程度自由にできたかもしれないのに、なぜ今なのだ。
思うようにできないとわかっていての反骨真なの???(だとしたらすんごいひねくれてる私)
※わたしがやりたいと思っていることについてはまた別の記事で^^
多分、気持ちの安定と安心があの頃よりも優っているから
これに尽きるんだと思う。(私の場合はね)
なにか新しいことにチャレンジしても、戻る場所があるから。受け止めてくれる人が近くいるから。
時間がないことよりも、気持ちの方が優ってるんだよね。
だから時間がなくても、寝不足になっても自由になれる時間をフルに使って、こうやって今日も書きたいと思うnoteを書いています^^
そんな時に思う、自分の両親のこと
親としてはまだペーペーのド新人だけど、子どもをもって思ったことや感じたことは山ほどあったし、これからも痛感していくことがたくさんあるんだろうと思っている。
私の両親は、私や妹を育てている日常の中でやりたかったことや、チャレンジしたかったことはあったんだろうか。
今の時代よりもずっと厳しいお給料や労働環境の中で、父も母もたくさんのことを我慢しながら子どものために生きてきたんじゃないだろうか。
親になれば誰しも子どものためにとか、子どもを最優先にする気持ちは痛いほど分かる。
でも、やりたいことができない日常はどんなにしんどいだろうか。
私は子育てをしながらも、好きな仕事に行ける時間もあって、好きなことをできる時間が少しでもある。夫も本当に仏のような優しい人だから息抜きさせてもらえる時間も作らせてもらえる。
私が小さい頃の時代はそうはいかなかっただろう。父は遅くまで仕事があり、母は一人で遅くまで子どもと向き合う日々。
母に私や妹が小さかった頃、なにが生き甲斐だった?と聞くと、
『本当に毎日必死だったから覚えていないし、お父さんも外で一生懸命働いてくれていたからしんどいとか大変とかそんなこと思えなかったかなあ。』
って普通に言うのだ。
そして、私自身が小さい頃を思い返してもしんどそうにしている母の姿はない。母はいつも明るく元気で、太陽のようで、いい意味でアホだった。(それは今も健在)
そして父もまた仕事に忙しい日々だったのに、休みの日は本当に、本当にたくさん遊んでくれた記憶しかない。
父はずっとやってきた仕事に今も誇りを持っているし、あの頃は大変な事の方が多かったけど頑張るしかなかったと言うけれど、うちは大変だとか不安に思うことは本当に一度たりともなかった。
父も母も、しんどそうにしている、我慢しているような姿は全く思い浮かばないのだ。
それどころか、私や妹のためにわりと頻繁に旅行につれていってくれたり、家族みんなでマリオパーティして遊んだり、絵しりとり(母は絵がピカソ並に独特、父はめちゃくそうまい、姉妹はそれなりにかけるレベル)とかくだらないワードで笑ったり、本当に楽しそうにしている父と母しかでてこない。
なぜだ。なぜなんだ。
親になって思うこと
思い出は美化されるし、良いところだけ切り取られて覚えているということももちろん承知している。でも、それでもやっぱりすごい。
到底、私は父と母を超えられる親になれる気はしない。
でも、目指したいし近づきたいとは思っている。
それと同時にもう一度子どもに戻って、父と母や妹とともに家族の時間を過ごしたいと思うようになった。(今の自分の家族との時間も十分幸せです。それとは別にね)
家族の時間がどれだけ楽しく、私にとって大切な時間だったか。(思春期の私は家族旅行に行って楽しみながらも、好きな人と一緒にきたいなあとか思っていたセンチメンタルな大馬鹿者)
小さい頃からそう思ってはいたし大事にしていた。でも、今の思うレベルとは桁違いで違う。
人間は自分が同じ立場にならないと、本当の意味でその人の気持ちや思いを知り、理解することができない。
悲しいけどこれが現実。(知りたい気持ちはあるし、その立場になれなくても知ることを諦めてるタイプではないよ!わたしはむしろ色んな人の思いは知りたい!)
どんなに願っても時間は進むだけ。2度と戻れない。
後悔先に立たずとはよくいったもので。
今まで両親や妹と過ごしてきた時間を後悔してきたわけではないし、むしろ今でも私の支えであり大切な時間であり大事にしてきたことは間違いない。
それでもあの頃に戻って家族との時間を過ごしたいと思うのです。
それは自分が家族を持って親になって、家族というものがこんなに大切なものであることを知ったから。
同時に、家族で一緒にいられる時間は有限であることを痛感しているから。
いつか、離れる日が来ることを知ったから。
新たな幸せとして自ら家族を作ることだとしても、それは元の自分が育ってきた家族から離れるということだから。
今私が欲しいと思う、あの時はあの頃は、どんなに願っても戻らないのだ。
進む時間の中でできること
自分もひとつずつ歳をとっているように、わたしの周りの大事な人たちも歳をとっていて。
生きていく環境も、家族それぞれ変わっていて。
その中でなるべく、なるべく後悔しないように生きていかなきゃなあと毎日思っています。(そんな綺麗事いってるけど、今日は1日の大半を寝てぐうたらして過ごした)
時間も人も、有限だから。
でも、日々形が変わってもできることがあるだけ恵まれている。
みんなが元気で生きていてくれれば、やろうと思えばできることはたくさんある。無限にある。
今の私で言えば、家族旅行にいきたい。
夫と娘、そして私の両親、妹を連れて。できればおばあちゃんや叔母、叔父も連れて。
旅行が難しいなら、みんなで集まってご飯を食べたい。他愛のない話をしながら過ごしたい。
もっと欲を言えば夫の家族も一緒に。
大事な人たちが集まって、大事な時間を過ごしたい。
大事な人が集まりたい時に集まれて会えるって、本当にありがたいことで嬉しいことだよね。
こんな当たり前なことも、コロナが広まるまで気が付けなかった。
コロナは怖いしムカつくし大嫌いだけど、教えてもらえたこともあるなと思うと余計に憎たらしいです・:*+.\(( °ω° ))/.:+笑 (よかったのかもなんて絶対思ってやらないぞこのやろう)
とにかく当たり前に会いたい人に会える時間が早く訪れるようにと、コロナの収束を願う日々です。
大事な時間を、どの人も思うままに過ごせる日が1日も早く戻ることを願って。
今日もまとまらない(まとまらなさすぎる)私のつぶやきにお付き合いいただき、ありがとうございました☺︎
それでは、また次の記事で^^