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たまごやきの匂い
こんばんわ。そしてお久しぶりです。(またも久しぶり更新)
生きるって疲れるし、大変ですね。(唐突)
毎日、本当にみんな生きてて偉いよ。すごい。
またすごく個人的な記事を今日も書きますが、久しぶりに書きたいなと思ったことなので、よかったらお付き合いください^^
約2年ぶりの父の日本への一時帰国
私の父は3年ほど前からアメリカに単身赴任しています。初めの年は会社が休みの時期に合わせて年に2回と、会社の会議の都合で1〜2回、合わせて3〜4回ほどは日本に帰国していました。
でも。コロナが蔓延したことをきっかけに日本に帰国できず。
帰国できないだけでなく、母もアメリカに行くことができなくなりました。
父の他にもアメリカで働いている方が数名いますが、家族や身内に会えないことや母国に帰れないことの苦しさを理解し実感している父は、タイミングを見ながら先にその方たちを日本に一時帰国できるよう手配していましたが、父は立場上、どうしても難しいところがあり2度ほど帰ってくる時期を延期したのち、やっと一時帰国してきました。
※父はアメリカでコロナワクチンを2回接種しており、なおかつ3日間のホテル待機、出発前のPCR検査、帰国後の2週間の自宅待機と毎日の待機位置報告を得て帰国しています。
父の帰国に合わせて、私も娘と一緒に帰省することを決めました。
父の目尻のさがりよう
テレビ電話はしていましたが、生の娘(父からしたら孫)を見るのは約2年ぶり。
まー、目尻がさがることさがること。笑
たれきっちゃうんじゃないかと思うくらい。笑
娘は父にとっては初孫で、元々子どもが好きな父からしたら本当に可愛くて仕方のない孫なのだと思います。
『本当に、本当にこれ以上ない親孝行をしたな。』という父。
結婚して子どもを作ることが決して正解ではないし、幸せと仮定することは間違っていると思う世の中だけど、わたしの生き方の中ではこれが正解だったのだと思えるのは父のこの言葉のおかげだなと思いました。
父の卵焼き
帰省中、娘を寝かしつけてから2階の寝室を出た途端、漂う懐かしい匂い。
すぐに父の卵焼きの匂いだと分かって急足で階段を降りると、案の定、父の作った出来立ての卵焼きがテーブルに。
やっぱり!!!!!!!!!!
私の言葉に嬉しそうな父。
我が家は亭主関白という言葉が割と似合う程度には、父のいうことは絶対的な家庭だったので、ご飯は母がほとんど作るのですが、時々休日の昼食に父がチャーハンを作ったり、夜食という体で塩むすびだったり、母のお酒のお供にと卵焼きがでてきたりすることがありました。
もちろん、母のご飯は本当に美味しいし、今の私の料理のルーツでもあるのだけど、たまにでる父の料理はまた違う味わいや雰囲気があって。
以前、こんな記事を書いたけど。
2階の部屋を出て匂いに気づいて階段を降りる時、なんとなく子どもの頃の私に戻れた感覚があって、なんだか嬉しかった。
そして言わずもがな、食べた卵焼きは子どもの頃に食べた味と変わらない、懐かしい味がそこにはあった。
車の後部座席から見た景色
帰省中、コロナもあるので派手には出かけられず、出かけたのは近くのスーパーやゲーセン、公園くらいだったけど。
妹も仕事がお休みの日に、家族総出でランチに出かけた時、最後部座席に乗った。
後ろの座席からみる父と母の後ろ姿。妹と同じ空間にいる後部座席。
娘も加わって以前より大人数だけど、その景色にまた私はほんの少しの時間だけ子どもの頃に戻れたような気がした。
小さな頃、家族で出かけた楽しかった記憶がたくさん蘇って。それぞれ家族みんな年はとったけど、変わらない景色はそこにあって。
大人になって、子の親になったけど、私は私なんだと思えて、なんだかとても嬉しかった。
決して戻れないけど、決して変わらない関係と記憶
以前の記事でも書いたけど、戻れない時間にちょっと切なくなったりもしたけど。
大人になっても、たしかに私は両親の子どもであることには間違い無くて。
あの頃と同じ時は刻めないけど、大人になったからこそ一緒に過ごしていける時間や思いがあることも確かで。
形が変わっていくことに切なくなるんじゃなくて、形が変わったからこそたのしんだり、ありがたみを感じられることに目をむけることが大切なんだなあと思えた1週間の実家帰省でした。
父、仕事にやりがいを持って一生懸命やる人なのはわかっているけど、早く日本に帰ってきてね。