SNSで愚痴ってどうすんだって話
自分に対してそう思った。
残るんだぞ、例え消しても。
誰かが忘れようが覚えていようが。
どこかのサーバーにデータの残骸が残ってるんだぞ。
今や誰が何をどこで録音したりスクショ撮ってるんだかわからない。
それが最悪、知らぬまにAIに喰われてるかもしれない。
今はもう2010年代じゃない。
あの頃のTwitterはとっくに死んだ。
この文章だって生々しいリスクを帯びている。
やめろ。
眺めるだけにしろ。
真似しようとするな。
愚痴を言いたきゃ気心知れた利害関係の無い友達と言い合うだけにしろ。
こっそり車の中とかで。
会社の人間にも不要な自己開示をするな。
ネットになんか絶対書くな。
誰が見てるかわかんないんだから。
そう思っても抑えきれないのはなぜか。
現状に満足してないから。
手頃なリスクを楽しんで発散している。
リスクから得られる快楽は麻薬のようなものだから。
依存性がある。
ヤク中とSNS中毒はきっと似ている。
最後は病院のカウンセリングルームか。
それとも施設のケアマネが相手か。
結局つぶやきは形を変えて無くなることはない。
SNSなんて無きゃよかったのに。
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