不動産が街に浸透しようとするから、街のらしさをつくる人たちが集まる
僕はヒトカラで施設開発、運営の仕事をしています。良さそうな物件を見つけ、シミュレーションをつくり、オーナーさまとすり合わせをし、時には交渉する。いくらで借りて、その時の内装費用の負担はどっちがどれだけ持って、、みたいな生々しい話にもなるわけですが、2件自分で施設をつくって感じたことがあります。
お金を意識しすぎると妄想と行動にブレーキがかかる
もちろんボランティアではできないのでお金を生まない施設をつくるわけにはいきません。その意味では僕らも事業者で、さまざまなジレンマがあります。あまりにも収支シミュレーションにこだわり、それをかなえる場をつくろうと躍起になると、いざできる空間の価値が建物単体で終わってしまう感覚があります。なので一回シミュレーションしたら、思い切って一回忘れるくらいの覚悟が、場をつくる人間として必要なんじゃないかと思うようになりました。
急に見慣れないホテルがズドーンとできる。街にとっては新しい人が訪れるきっかけになり、盛況すれば盛り上がっているようにも見える。けどそれは建物がある歴史を無視し、建物単体で作り上げられている状況に過ぎないと僕は思う。そのような建物がいくつもできればもちろん街は変わる。けどその地域の思い出もきっと消える。
僕は茅ヶ崎の団地で育ったのですが、その後引っ越し、成人になってその場所に行くと、見事なタワーマンションが出来てました。思い出ごとごっそりなくなり、親しみさえも薄れる感覚を今でも覚えています。
だから不動産は単なるお金儲けではなくその地域の過去、現在、未来ををつなぐ接点になる、という視点が大事なことのように感じています。そして不動産が時間軸を繋ごうとするので(地域に浸透しようとするので)、そこに共感する人が現れ、実際に人が時間軸をつなぐ行動を起こし、共感する人が集まり、街のらしさが徐々につくられていく。なので事業者といえど、お金だけに執着せず、街や建物の変遷に思いを巡らせ、どれだけ時間軸や広がりを意識してつくれるか。いかに妄想し行動ができるか。その結果として価値=対価を得られるか。非常に難しい仕事だなと感じてます。
いざ当事者になるとこのバランスがすっごい難しいの(笑)。でも茅ヶ崎のあの感覚をもう経験したくはないし、誰かにしてほしいとも思わないのでどうにか探りながら今後も場をつくっていければと思います。
ただ、場をつくっただけでは不動産は浸透しきらず、むしろきっかけにしかならず、場を運営する人がいないと場は生きてこないので、その辺りの話を考えがまとまったら次に書こうと思います。