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「護られなかった者たちへ」を語らせてくれ



※これより先は「護られなかった者たちへ」のネタバレしかない感想文です。まだ観てない、これから観る予定の方は注意して下さい。
 一回しか観てないし原作未読なので色々間違ってる可能性が高い、というか確実に間違ってるのですがご了承下さい。






 突然ですけどこれを読んでる方へ。
 悪事を働いた事って…あります?

 なんかカルト宗教に入信させるためのヤベー口上みたいな事言いましたが、こんな事聞かれて大体の人は「無い」と答えると思います。「有る」と答えた方はすみません私からは何も言えないです。
 悪事、と聞いて連想するのは「殺人」「放火」「窃盗」などの犯罪でしょうか。または人を裏切った、騙したなどの直接犯罪には結びつかなくても人の心を深く傷付ける行為などでしょうか。どちらにしろ酷い事、というのは共通項だと思います。ほとんどの人はそんな事(無自覚にやってしまった事は別として)自分はしていない、と答えるのではないのでしょうか。

 といったところで質問を変えます。仕事をサボった事ってあります?

 仕事じゃなくても学校の課題とかでもいい。サボると言ってもちょっと手を抜いただけ。いつもはちゃんとしてるんだから今日くらいちょっとサボってもいいかな、みたいな。
 これくらいだったら多分「ある」と答える人が多くなると思います。仕事をサボる、じゃなくてもちょっと困ってる人を見て見ぬフリしてしまったとか、ゴミが落ちてるけど拾わなかったとか、そういう、罪だなんて言われないし思わないくらいのほんの些細な「手抜き」です。
 これにも「無い」と答える人は居るかもしれません。清廉潔白、好きです。そのように正しく生きてくれる人が居ると思うと救われます。(感情激重発言)

 そんなところで追加の質問です。じゃあもう、本当にしんどくて疲れ果てて、自分に全く余裕が無い時でも、何年も手を抜かずにやり遂げる事が出来ますか?

 もうこうなると相当数の人が「無理」と答えるんじゃないかなーと思います。勿論、それでも「出来る」と答える人も居るでしょう。でも、それは稀なんじゃないかな。
 少なくとも私は無理です。自分に余裕が無いのに誰かを助けようとなんて出来ない。そこまで清廉潔白に誰かの為に生きられない。自分の事は可愛く無いけど、どうしたって自分は大切なんです。

 逆にそれが破綻してて自分を犠牲に人を助け続けて行き着くところまで行ってしまったキャラもいるけど。聞いてるか衛宮士郎。



 前フリ長くなりました。


 映画「護られなかった者たちへ」はこういう人のちょっとした、悪意と呼ぶにはいささか言葉が強過ぎるような「手抜き」で沢山の人々の人生が狂っていった物語であり、その根幹にあたる「手抜き」だって東日本大震災という震災がなければきっと表に出てこなかったであろう、まさに「誰を恨めばいいのか分からない」という物語でした。
 それでも俳優陣の演技の上手さで「どうしようもなくてしんどくて辛いけど、でも生きていくのをやめたくは無い」みたいな、星の光のような淡く美しい後味で映画が終わるのでめっっっっちゃ面白かったよ…!!となった。こういう作品の感想って「面白かった!」ってアリなんか!?分からん!間違ってたらその時は腹を切って詫びます!

 邦画の楽しみ方が最近ようやく分かってきました。めっちゃハッピーで痛快で爽快で「人生って…サイコー!!」みたいな映画を観たい時は洋画、じめっとした畳の部屋で俯きながら「こんなどうにもならないなんて人生辛すぎる…」みたいな映画を観たい時は邦画、覚えましたよ!
 そんなセルフ情緒ジェットコースター状態で映画を観るな。



映画のあらすじ

 舞台は東日本大震災から10年目の仙台。仙台市若葉区保健福祉センターの課長・三雲忠勝がとあるアパートの一室にて、手足を拘束され口を塞がれその状態で放置され、餓死した姿で見つかった事がそもそもの始まりです。
 この三雲忠勝を演じているのが永山瑛太さんなのですがこれ後述するんでとりあえず演じてたのが瑛太さんなのは覚えておいて下さい。マッッッッジでスゲーから!!(語彙力の著しい低下)

 東日本大震災で妻を失い、今なお息子が見つかっていない笘篠誠一郎は捜査一課のベテラン刑事。コンビを組んでいる蓮田と共に捜査に乗り出しますが、三雲の妻や同じ福治センターで働く職員・円山幹子、その他の証言から三雲は人格者かつ大変なお人好しだったという事が分かります。
 しかし三雲という人物にも影があった。生活保護受給について「話を熱心に聞いてるようでのらりくらりとしている」と受給を受諾されなかった人からの不満の声もあり、捜査は難航します。

 そうこうしているうちに第二の殺人が起こりました。今度は福祉連絡会副理事の城之内猛が、三雲と全く同じように手足を拘束され口を塞がれ餓死した状態で見つかったのです。
 そして三雲と城之内は以前同じ福祉センターで職員として働いていました。ここから連続殺人事件として捜査が始まり、捜査線上に浮上したのは一人の男。
 利根泰久。彼は数年前に三雲と城之内が勤める福治センターへの放火の罪で服役しており、模範囚として刑期を終え、出所したばかりでした。

 笘篠と蓮田は利根泰久について調べます。
 そこで分かったのは10年前の震災の時、避難所に一人で居た利根。
 そしてそんな利根に寄り添う幼い少女と、ひとりの老婆が居たのでした。

…と、ザックリとしたあらすじはこんな感じです。


犯人の動機のやるせなさがすごい。

 ネタバレOKでここまで読んでるのでしょうから勿体ぶらずに言います。一連の殺人事件の犯人は円山幹子です。利根と共に一緒にいた幼い女の子というのも彼女のこと。
 利根泰久は円山を守ろうとさも自分が殺したかのように振る舞っていただけ。ただこれは映画を観ているとなんとなく分かるのでそこまでおっ!と思わせるものでは無かったです。

 ただ、分かっていても殺害動機のやるせなさがすごい。物語の展開の上手さも役者陣の演技の良さもあって筆舌に尽くし難い。こればかりは観てくれとしか言いようが無い。

 円山が三雲や城之内を殺したのは、10年前の震災の時、自分と利根に優しく接してくれたひとりの老婆・遠島けいという存在を救ってくれなかった復讐でした。
 震災が直接けいの命を奪ったのではありません。ただ、震災で母を失った幼い円山が「誰を恨めばいいのか分からない」と泣いていた時に「私は生きてて良かった。こうやって幹ちゃんを抱きしめられる」と笑ってくれたけいさんは、生活保護を受けられずこの現代日本で餓死してしまったのです。

 利根はこの事で「対応が杜撰だった」と福治センターに火を放ち捕まったのですが、円山はまた違います。
 成長し、生活保護の職員となり、けいと同じようにお金さえあれば救われる人々にも、不正受給をして生きてる人間も見ています。
 けいと同じような年代の老婆が「国に面倒を見てもらうなんて…」と躊躇う時に「あなた達の年代の人はみんなそう言うけど、これは権利なの」と説得し、受給するよう勧めたり、不正受給者に「あなたに渡しているお金、そっくりそのまま本当に必要としている人に渡したっていいんですよ」と果敢に立ち向かったりなど、どう見ても彼女は悪人ではありません。
 けれど恐らく、そういうのを見続けた結果、どうしても許せなくなったんじゃないかなと思うのです。
 本当に助けが必要な人たちに救いの手は差し伸べられず、不正にいい思いをしている人がいる。
 彼女のした事は許される事では無い。でもあの震災の時、救ってくれたけいが生活保護を受けずに餓死してしまった、その時対応した職員に恨みを持つのも、納得は出来る。納得出来るけど…みたいなやるせなさが続く。
 もうね、こういう善と悪がハッキリしておらずマーブル状態、嫌いじゃない。だって人間ってみんなそうだから!

 そして円山が三人目の殺害を実行しようとする時、止めに来た利根と笘篠に言う台詞がまたいい。

「お母さんが亡くなったのは震災のせい。誰を恨めばいいか分からなかった。
 でもけいさんは違う。けいさんが死んだのはみんなが悪い」

 全文暗記は出来てないのですが概ねこんな感じでした。
 もうね、これスゲ〜好き。こういう復讐ものって大体「こいつが悪い」「あいつらが悪い」っていう「だから自分は悪くない。自分は被害者だ」みたいな意味合いもある。確かに元々被害者で、そこから加害者に転じてしまったので気持ちはとてもよく分かる。
 ただ円山は「みんなが悪い」と言う。おそらく、この「みんな」には自分も含まれている。
 生活保護という権利があるのに水際で止めようとする地方福祉が悪い、そういう奴等を野放しにしている警察が悪い、働けるくせに不正受給して楽に生きようとする奴が悪い、生活保護法を変えた国が悪い、そして何よりけいさんが餓死した時に助けられなかった自分が悪い。
 あの場面で円山は元職員の一人、上崎の首元にナイフを突きつけていた。きっと「こいつらが悪い」とだって言えたのだ。それでも彼女が口にしたのは「みんなが悪い」だった。
 本当に不器用で、どうにかしたくてどうにも出来なかった女の子で、罪悪感にずっと苦しめられている人だった。

 大震災の時は誰を恨めばいいのか分からなかったから我慢できた。でも明確に恨める人が出来てしまったから我慢できなくなった。なんともやるせない。


みんな基本的に善人で、そして少しだけ悪い人だった。

 話は変わるがTYPE-MOONが発売した「月姫」というゲームはご存知だろうか?

※18歳以下はやっちゃ駄目だぞ!!


 詳細書こうとするとネタバレ待ったなしなのでここでは書かないが、ぼかして書くと「善人でも無いけど悪人でも無い」というキャラクターが出てくる。
 そしてそのキャラクターについて作者である奈須きのこはこのように語っています。

「悪人ではないけど善人でもなくて、努力もするけどサボりもする。ズルいところもあるし自分かわいさで悪に走ったりもするけれど、でもそれって責められる?皆だってそうでしょ?」

 私は「護られなかった者たちへ」を見てこの言葉を思い出していた。

 前述しました三雲忠勝という人物。彼は大変なお人好しで、大震災でめちゃくちゃになった墓を一人で直したり、妻を気にかけたりと人格者な一面があります。
 反面、彼に対して良く思ってない人もいる。生活保護申請者です。受理されず、不満を零す人も。
 でもこれについては何もおかしくない。全ての人間に好かれる人間なんてこの世には居ないのだから。

 そして何より状況が悪かった。
 大震災の後だから。そう、三雲にはまったく余裕が無かった。

 三人目の元職員・上崎が後々語るのですが「みんな疲れていた」とこぼします。疲れてた。そうなると、対応が杜撰になってしまうのも納得出来ます。それが許される事では無くても。
 一日二日なら頑張れるでしょう。でもそれが何ヶ月も何年も、震災により毎日毎日沢山の申請者が訪れていたらどうでしょう?自分の生活だってままならない時に?
 多分、その時に悪意とも呼べない悪意が出てきてしまった。一人の人間の善悪パーセンテージでいえば、三雲は90%は善人なんです。ただ残りの10%、震災が無ければ顔を出す事も無かっただろう「ちょっとだけ手を抜きたい」という怠惰。
 それで、けいさんが死んでしまった。

 けいさんが生活保護の申請の時、生活保護法改正により不正受給を防ぐ為、申請が厳格化されました。それによりけいさんの戸籍が調べられ、親族がいる事が分かった。
 実はけいさんには、生まれてすぐ捨ててしまった娘が居たのです。夫の暴力から逃げる為に。
 そして生活保護を受けるには、その娘に連絡しなければいけない。けいさんは嫌がりました。「今まで母親らしい事なんて出来てないのに、お金が無いなんて理由で連絡出来ない」と。
 その時に三雲が言ってしまうのです、「じゃあ、受給やめます?」と。
 三雲は生活保護の受給を止めたら、けいさんが死んでしまう事も分かってた。けいさんだって死んでしまう事がきっと分かってた。それを二人して「見て見ぬフリ」をした。それだけの話だった。

 おそらくですが、震災が無ければ三雲はもっときちんとした対応したのだと思います。少なくとも一人でお墓を直す人が、餓死すると分かってて受給を止める事を提案するとは思えない。
 でも状況はよりによって日本を揺るがす規模の大震災の後。とんでもない数の人が死んで、その対応をして、街はまだ復興中で…。
 多分、余裕なんて無かったんでしょう。ほんの少し楽をしたいと思ってしまったんじゃないかな。
 
 そしてこの三雲を演じた永山瑛太がスッゲ〜んだ。「居る居るこういうぱっと見いい人!!」となる。脇役だし最初に登場した時には既に死体なのに、演技がピカイチ過ぎて登場シーンはそんなに多くないのにやたら脳裏にこびりつく。やめろやめろやめろ!
 けいさんが死んだ後に乗り込んで来た利根に、薄笑いで「最後は人間らしく死にたい、なんて無理な国に生きてるんですよ」と言う。この、なんとも言い難い薄ら笑い!悪性が滲み出ていて、でも彼の言い分に間違いがない腹が立つ程の正論!悪ではあるのに罪に問われる程の悪では無いだけどなんとも言い難いこの床のたうち回りたくなる度し難さ!!(※褒めてます)

 映画「護られなかった者たちへ」はこういう震災によって引き出された小さな悪が折り重なり、年月を重ねて惨劇へと至った群像劇の側面があります。
 みんな生きて、笑って、泣いて、怒って、その結果がこの映画で、人生の過程を切り取ったかのよう。沢山の人々の人生を、ちょっとずつ見ているようで、物凄い満足感があります。
 群像劇好きなのですごく面白かった。大好き。
 登場人物の中で明確に責められる人って居ないんですよ。まぁ不正受給してた奴はテメーいい加減にしろよって思うのですがこれはモブなので…。みんな善人の側面があるからこそ、言い分に間違いは無いからこそ、円山の復讐のやるせなさがさらに際立ちます。
 誰が責められるんだ三雲を。私は責められない。もしも自分が同じ立場になった時、同じような事をしないなんて言い切れない。

 冒頭の問いはここに繋がります。仕事を一度もサボった事がない、自分に全く余裕が無い時でも手を抜かず人を助けられるという人だけ三雲に石を投げなさい。
 三雲に石を投げられる人へ。どうかそのままで生きて欲しいが無理してないか!?大丈夫か!?


それでも生きていく事の苦しさと美しさ

 円山はSNSでこう語っている。「声を上げて下さい。不埒な者たちよりも大きく、図太く」と。

 この物語では「本当に助けが必要な人ほど『助けて』が言えない」もテーマに組み込まれている。
 利根も円山も、家族を失い避難所で生活していた時「助けて」が言えなかった。けいさんも、貧窮していたけど「助けて」が言えなかった。「護られなかった者たちへ」はそのように「助けて」と声を上げられない者たちについての物語だったと私は思う。
 でも小さな声を拾ってくれた人も確かに居る。利根と円山を助けてくれたのはけいさんだから。
 「生きてていいのかな」と自分だけが生き残ってしまった罪悪感に苦しむ利根や円山を優しく抱きしめたけいさん。だからけいさんを救わなかった者たちを利根も円山も許せなかったのだ。
 そういう、暗闇の中でふと顔を上げた時に見えた小さな光の為に生きていこうと足掻く人々が、とても好きだ。

 さて主人公である笘篠。彼は大震災の時に妻を亡くし、今なお息子は行方不明なのは前述の通りです。彼は震災の後はずっと一人暮らしで、多分、暗闇の中を歩くように生きてきたのだと思います。だからか冒頭の彼には優しさが欠けており、パートナーを組んでいる蓮田にもあまり好意を持たれていません。
 
 しかし全ての問題が解決し、利根と話をする機会が出来た時。利根は「助けられなかった」と語ります。

「あの日、黄色いパーカーの男の子が水に沈んでいくのを見た」
「見てたのに、水が怖くて助けられなかった」
「だから避難所で同じように黄色いパーカーを着た幹ちゃんを見て、幹ちゃんだけは助けようと思った」

 それに笘篠は目を見開きます。
 あの震災の時、息子が黄色いパーカーを着ていたからです。
 そしてもし息子が生きていたら、円山幹子と同じくらいの年齢だったから。
 利根が助けようとした男の子は、自分の息子だと。

 10年経ってやっと。やっと息子がどうなったのか、笘篠は知る事が出来ました。
 だから彼は言うのです。

「ありがとう」
「助けようとしてくれて」
「声を上げてくれて」

 利根はそれには怪訝そうな顔をします。それは仕方ないでしょう。笘篠の事情を利根は知らないし、笘篠は自分の事情を語りません。
 でもこれをきっかけに、笘篠の暗闇に何か光がさしたんじゃないかなと思うのです。ちょっとご都合展開では?と思われるような展開ですが、ご都合展開で何が悪い!ほんの少しの救いが見えて何が悪い!!(めんどくせえオタクの図)
 問題なんて何も解決しちゃいないけど、昔より少しだけ息をするのが楽になったんじゃないかなぁ。ご都合展開と言われても、ベタだと言われても、私はあの終わり好きです。ほんのちょっと救いで、人間ってなんとか生きていけるものだから。




 まだまだ語れるのですがとりあえずこんな感じで!
 キャッチコピーに「魂が、泣く」とあり「邦画ってこういう変なキャッチコピー付けるの好きだよね…」とちょっとげんなりしてたのですが予想以上に良作で大変満足しました。そして泣きはしませんでした。それについては人それぞれです。
 人々の群像劇、善と悪とハッキリ分かれないマーブル模様、人の優しさ、社会問題、そして東日本大震災のその後、こんだけ要素詰め込んで綺麗にまとめてあるのが本当にすごい。考えさせられる事も多く、「面白い」と簡単な表現で言っていいものか迷うレベル。
 
 主題歌は桑田佳祐による「月光の聖者達」で、すごく映画にハマっていたのだが個人的にback numberの「水平線」を思い出していた。

水平線が光る朝に
あなたの希望が崩れ落ちて
風に飛ばされる欠片に
誰かが「綺麗」と呟いてる
悲しい声で歌いながら
いつしか海に流れ着いて 光って
あなたはそれを見るでしょう

 うーーーーーん登場人物達に当てはまる…(※個人の意見です)
 映画「護られなかった者たちへ」、機会があれば是非。

 あとこれだけは伝えておこう。恋愛で人が救われる話ではありません!!そういう展開に食傷気味なんだよなー…って人、是非!!!!!!!!!!!!!!!!



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