【コラム】郊外住宅地に生まれ育った
こんにちは。建築家見習いの佐藤です。
日々まちまちの最初のコラムに、どのようなテーマでコラムを書けば良いものか。 非常に迷いましたが、まずは自己紹介がてらに自分の生まれ育った「まち」に関して、思うところを書いてみようと考えました。 ということで、最初のテーマは「郊外住宅地について」です。
日々まちまちは、お散歩コーディネーター並木と建築家見習いの佐藤で「まちを使わない人なんていない。だから語っちゃおう」と始めた、まちに特化したラジオ番組です。
ラジオでは、noteに投稿したコラムを元に、2人で「あーだ、こーだ」自由に語っています。
このコラムに関して語っているラジオはこちら↓
僕は生まれてから就職するまでの25年間で一回も引っ越すこともなく、同じ家で過ごしました。 新宿から電車とバスを乗り継いで1時間ほどで辿り着く郊外住宅地エリアにある一軒家です。
小学生まで、不自由なく過ごしていました。小学校は徒歩1分で通えたため、遅刻したことはありませんでしたし、周りの友達も近くに住んでいて、遊ぶ場所は公園か友達の家。住んでいるエリアで自分の行動の、ほぼ全てが完結していたし、それに満足していたのです。
ただ、中学生になった頃から、じぶんの住む街に違和感を覚え始めるようになります。少し遠くの中高一貫校に通い始めたこともあって、近所の友達と会う機会は激減。家の周りで満足に過ごせる場所がないことに気づいたのです。いま思い返せば、以下の四つの問題点が自分の中で大きかったように思います。
①:最寄りの駅までは、バスで20分。
②:周りにカフェや図書館などの一人で落ち着いて過ごせることがない。
③:音に敏感。
④:周りに話せる大人が「親」しかいない。
①:最寄りの駅までは、バスで20分。
一つ目は、どこに移動するにしても最初にバスに乗らなければならず、この街でそれなりに快適に過ごすためには車が必要だったこと。それ故に、この街に住むことを決断した人の多くは、車を持てて運転できる大人たちだったはずです。しかし、その子供たちは自らの移動範囲が広がるにつれて、不自由さを覚えるようになります。免許を取ってからも、自分の車を持てる子供は少なく、親の車を借りることになりましたが、僕の家では何のために車を使うのか申告しなければならず、車が使えたところで自由や快適だとは思えませんでした。
②:周りにカフェや図書館などの一人で落ち着いて過ごせることがない。
最寄り駅まで微妙に遠かったとしても、周りに魅力的な場所があれば不満は少なくなっていたことでしょう。しかし、この街には、子供が過ごすのに快適で魅力的な場所などありませんでした。
③:音に敏感
とにかく音に敏感にならざるを得ない場所でした。特に大人は周りに音を聞かれるのを過剰に気にしており、僕の家では家のドアを閉める音や、階段の上り下りの音さえ注意するよう言われ、(中高とバスケ部だった僕は)ドリブル練習を庭でやることも制限されていました。何のための庭付き一軒家だったのでしょうか。家の中ですら、不自由に苛まれていたのです。
④:周りに話せる大人が「親」しかいない。
最近、下北沢付近の定食屋でご飯を食べていたら、定食屋の店長が下校中の小学生と大きな声で挨拶をし、時には少しばかりの会話をしていて、なんて健全な風景なのだろうと感心しました。僕の街では、周りに気軽に話せる大人はいませんでした。もちろん近所に大人はいましたが、親の耳に直結していたであろう、その耳に、挨拶以上の言葉を投げかけることに躊躇してしまっていたのです。
これらの問題は、とっくに多くの議論を経ているかもしれません。ただ、ぼくにとって4つの問題点のどれか一つでも無ければ、もう少し自分の街を好きになれたと思うのです。
移動の自由、居場所の獲得、行動の自由、関係性の充実
これらを郊外住宅地における「安全性」と両立するためには何ができるでしょうか。
それを知るためにも、いろいろな街からの気づきをこれから並木さんと発見していきたいと思います。
少しネガティブなコラムになってしまいましたね。ただ郊外住宅地での経験が、僕の街への興味の原点でした。