「普通」を諦めてもいいんじゃない?
「普通」ってそもそも何?
学生時代、ふと考えてたら寝れなくなったのを思い出した。
辞書的にはこういう意味らしい。
社会では「普通」でいることが求められけど、僕は普通な人を見たことがない。
大なり小なりダメな部分があって、それを取り繕った上での普通の人ならよく見かける。
何かしらの欠点があり、完璧でないからこそ魅せられるのだと思う。
「普通」であることはもう諦めていいんじゃないかしら。
多少おかしなヤツだと思われたとしても、おかしなヤツもの同士の方が会話も弾むし、有意義に感じることも多い。
ただ、社会的に「普通」であることを享受しているのが、大人なのだとしたら
きっと、子どもと大人の間である学生時代だからこそ悩んでいたのかもしれません。
「普通」を疑うことも、「普通」を幸せだと感じることもある
なんとも不思議な言葉ですが、
いろんな感情を踏まえて、最後にもう一度
「普通」であることはもう諦めていいんじゃないかしら。
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