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当時入社1年目の僕が死にかけた話~その1~


こんばんは。ひびこれブログです。

今回は、今でも僕の中で記憶と身体に深く、深く刻まれている体験談をお話ししようと思います。


入社1年目で対応した現地調査での出来事なのですが、10年近く経つ今でも人生で最も辛かったランキングの堂々1位をキープしております。


誰かの役に立つ情報なのかは全く未知数ですが、是非ご一読頂ければと思います。


入社1年目の夏

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それは入社1年目の夏のことでした。


当時入社1年目の僕はまだまだ未熟も未熟で、日々先輩たちの業務に帯同させてもらい、現地調査、打ち合わせ、とりまとめ作業等を対応しながら勉強の毎日でした。


当時の僕のスペックはというと、ザ・普通だったと思います。


●体力:普通

中学高校とテニス部に所属し、大学では空手部に所属していました。

大学の3年以降は部活動をフェードアウトしてしまったので、そこそこあった体力も普通程度に戻ってしまっていたと思います。


●判断力:普通

入社して3か月程度ですが、すでに1人で業務を担当する機会もあったので、それなりに判断力はあったと思います。

なにより、現地調査で命に係わる危険なことに対しては、関わる人達みんなの命を預かっているという意識で仕事には取り組んでいました。


●協調性:普通

チームスポーツを少しやっていたことと、塾でのチューターやカフェでのアルバイトを通して協調性は少なくとも人並みにはあったかと思います。


そんな中、国のとある組織より発注されている森林調査業務を元請で対応することになりました。


この業務が結構えげつなくて、平気で人が到達したことがない場所や山奥に地点が設定されています。


現地調査は3名1班の体制で行います。

3名おりますが、各々役割があり、阿吽の呼吸でタスクをこなしていかないと登山、調査、下山の流れをこなすことができません。


最初の2~3週間程度はベテランの先輩社員の班に加わり、現地調査を対応していました。


そんな中、Xデーは訪れます。。。


まだ甘く見ていた登山前


2~3週間程度、山登りしながらの森林調査を対応し、身体のあちこちが痛くなりながらも

「なんか慣れてきたなあ😏」

と少し余裕を感じるくらいまでにはなっていた頃のことでした。


調査の場所は新潟県の飯豊連峰でした。

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※これが飯豊連峰の一部

標高的に言えば2,100m程度なので、そこまで高いわけではありません。


事前に調査地点までのアクセスを検討している段階で、日帰りでの到達は厳しいことが容易にわかりました。

アップダウンの激しい稜線を20km程度の道のりで、途中から稜線を降りて斜面途中にある調査地点へという感じでした。スタート位置は標高400m程度。


僕たちが立てたプランとしては、初日に16km程度登山をし、無人の山小屋で一泊したのち、明朝に調査地点へ到達して現地調査を実施後、そのまま一気に下山するといった内容でした。


森林調査に使う道具が結構あり、かつ着替えや寝袋、1泊2日分の食料や水分も併せて運ぶため、一人あたりのリュックの重さは25kg以上ありました。

非常に猛暑となっている夏場の現場でしたので、水分は多めに必要だろうということで、1人当たり7リットル準備していきました。


班のメンバーは、ベテランの先輩(以下先輩Aと表記します)、協力会社のベテランのおじさん(おじさんKと表記します)、僕という構成。


もちろん調査なので、長袖長ズボンの作業着と長靴にヘルメットという出で立ちで登っていきます。

(もうこの格好の時点で汗が吹き出します)


相当キツい調査になるなあという感覚はありましたが、「まあ大丈夫でしょ」とどこかで甘く見ていたところがあったと今は思います。


地獄の登山のはじまり

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調査当日、我々一行は朝4時に宿を出発しました。


完全に真っ暗で、寝ぼけまなこをこすりながら登山道へ向かいます。


登山道入口までは1時間程度だったと記憶しております。

入口に着いた我々は、何の変哲もない普通の日と同様、特に間髪を入れずそのまま登山を開始しました。


隊列としては、先輩Aが先頭、僕が真ん中、おじさんKが最後列という順番です。


登り始めから息の根を止めにかかるような急傾斜の尾根道。。。

一応、自然地形を利用して階段のように段差を整備してくれてはいるのですが、その一段一段の高さが40~50cmぐらいありました。


序盤ではありますが、すでにゼーハーゼーハー言いつつ登っていきます。


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何時間経ったでしょうか。

最初は談笑をしながら順調に登っていきました。


かれこれ3、4時間、容赦ない登りが続いています。


我々は口数が少なくなり、吹き出す大量の汗を補うように水分補給を適宜行っていました。


各自7リットル持ってきた水分ですが、程度の差はあれど各自1.5リットルはすでに消費していました


まだ今日の工程の半分にも満たない時点でこの消費量はマズいな、ちょっと配分考えないと。。。


3人みな口に出さずともそう思っていました。


さらに2時間程度登ると、完全なる稜線に出ました。


真夏かつ連日最高気温を更新している中、その日も最高気温36℃はあったかと思います。


カンカン照りで左右を植生に挟まれた稜線は、体感では40℃近くあるのではというぐらい暑かったのを覚えています。


しばらく歩いていると、突然


バタッ!!


と後ろで大きな音がしました。


トラブルの連続


大きな音でしたが、疲労困憊の僕はそれほど気力もなく、ゆっくりと後ろを振り返りました。


すると、おじさんKが仰向けに倒れ、稜線からズルズルと転げ落ちそうになっていました。


危ない!と思った僕は、先ほどまでの疲労が嘘のように素早く走り、おじさんKの身体を止め、「大丈夫ですか!!」と大声でしゃべりかけました。


おじさんKは、白目を剥き、口からは泡を出して痙攣を起こしていました


ただならぬ事態に、慌てて先頭の先輩Aを呼ぼうとしましたが、疲労により僕のペースが遅くなっていたため、少し距離が離れてしまっていました。


しかしこの時点で、僕はこのおじさんKが倒れた理由について、思い当たることがありました。

それは・・・


つづく

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この投稿で書き切ろうと思ったのですけど、意外と長くなってしまいました。


というわけで今回の投稿ではここまで。


それでは、また。


By ひびこれブログ


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