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母のこと

noteを久しぶりに開きました。
オタ活や駅伝などいろいろあったけど、インスタの方で書いたりしていてこちらはご無沙汰でした💦

でも、何か今の自分の気持ちを整理する為に書くのはnoteの方がいい気がします。
心弾む話ではないのですが…

年末に突然母が倒れて(くも膜下でした)、60時間後に還らぬ人となりました。
生前から、もしもの時、回復が見込めない時は治療はしない、尊厳死協会に入っているからと何度も言われていた事が現実となり、父と兄弟3人で決断をせまられました。
先生からは、くも膜下出血の中でも最も重い症状で、救急車の中で心肺停止になった事、治療をする為には手術をしなければならず、それにはいくつもの山を越えなければならない事、その間もう一度出血すればどうしようもない事などいろいろと説明を受けました。

私の頭の中はクリアだった気がします。
自分の中では結論が出ていたからかも。
暗に治療は無理で、20分近く心肺停止していたなら回復したとしても脳死状態ですよね?
怖くて聞けなかったけどそうですよね?
こうなったからには、母の希望通り尊厳死を選ぶしかない。
現実とは思えない状況だけど、ただただ母を苦しめたくない。
父は私と同じ気持ちだとわかったけど、弟2人はどう思ってるんだろう…
4人で話をして、下の弟は出来るだけ治療をしたいと思ってるけど、多分私達の意見が正しいだろうと。
どういう結論を出しても絶対後悔すると思うけど、お母さんが望んでいた方向でやるという事で落ち着きました。

先生に結論を伝え(反対もされなかった)、細かい部分まで共通認識をはかり、母の体力がもつまで頑張ってもらうという事になりました。

1人ずつ会ってもいいとの事だったので、順番に面会しましたが…
口の中に大きな管を入れられて、でも静かに寝ている母を見て、顔はいつも通りだし、ほんとにもう目覚めてくれないの?
昼間にいろいろ話をしたじゃない、お正月のこととか打ち合わせしたじゃない。
どこか調子が悪かった?
だったら教えててよ、アジのタタキとか作ってくれなくてよかったんだよ?
涙も出てきませんでした。
あまりにも非現実すぎて。
呆然としていた気がします。

母には1人妹がいて、小倉で暮らしています。
子供の時に両親が亡くなり、祖母や叔父に育てられたそうですが、2人でずっと助け合ってきたとても仲のいい姉妹です。
その叔母に連絡をしなければならず、私が翌日9時ごろ電話をしました。
叔母の声を聞いたらボロボロと涙が出てきて、途切れ途切れに母の事を伝えました。
「おばちゃん、どうしたらいいの?」と叔母も泣きながら取り乱していました。
コロナで面会は出来ない事、私達も付き添えない事などを伝え、何かあったらすぐ連絡するからと言って電話を切りました。

一睡も出来ないまま、実家でこれからの事を話し合いました。
母がいない家はガランとしていて、これからどうなるのか、母がいてこその私達だったんだと今更ながら痛感することでした。

そのうち、叔母から連絡があり、会えなくても近くにいたいからもう鹿児島に向かっているとの事🚅
そうだよね、近くにいたいよね、会えないけど全然大丈夫だよ、ありがとうね。

私達に出来る事は何もないので、とりあえず家に帰って…
人間ってこんな時全然お腹が空かないんだなぁ。食べなくても平気なんだなぁと自分を観察して、ただ時間が過ぎるのを待つ感じ…
夜もほとんど寝れず、昨日も寝てないのに眠たくならないんだなぁ。不思議〜。

…でうつらうつらしていると、朝6時前に弟から連絡が入り、病院からすぐ来てくれと。
もう会えるらしい。
それだけ危ないって事だろうけど、とにかく走りました🚙
一番手前の集中治療室の部屋に母はいて、2人ずつ自由に面会していいとのこと。
隣の控室を使ってくださいとの事だったので、家族で交代しながら母に会いに行く。
叔母にも連絡をして、ホテルから来てもらった。
無理にでも鹿児島に来ていてよかったね!
おかげで生きているうちに会ってもらえた。
母の手を握ったらいつも通り温かい。
私は手が冷たいから、たまに温めてもらってた。
夜も付き添ってよかったので、一晩中母と一緒にいた。
握った手が少しずつ冷たくなっていく。
朝方、父と弟を呼んで家族で見送る事ができた。
最後はみんな、お母さんに感謝の気持ちを伝えていたな。
私達は素晴らしい人を母・妻に持っていたんだと、居なくなってからようやく気づいた。

あの日からの喪失感がどうしようもない。
何かを見れば母を思い出して涙💧
美味しいものがあれば母に食べさせたかったと涙💧
花を見れば母が好きだったと涙💧
一体いつこの状態に慣れるのか。
一生布団をかぶって閉じこもっていたい。

…がそうはいかない。
私には家族がいる。
隣に住んでいる主人の父は車椅子で買い物にも行けず食事は私頼みだし。
実家の父と弟(独身)は母がいなくなって2人暮らしになり、まだペースがつかめていない。そもそも母が居てこそ成り立っていた人間関係🥲
週2、3回は顔を出して話を聞いてあげないと。

自分の気持ちだけで閉じこもってていい環境にないわけですね、私!
母が言っていた、人生はプラマイ0️⃣になるはずだから、苦労したらいい事があるって。
それでいうと、私は今まで結構のんきに過ごして来たので、今そのプラス分を払ってるってことか?
きっとそうだな。そうだと思おう。

今更だけど、私は母ととても仲良しで、一緒にホテルに泊まったりランチに行ったりご飯をご馳走になったり、甘えてばかりだったなぁと。
料理上手な人だったのに、肝心なコツとかを何も教えてもらってなかった。
だって、味がついた物をちょうだいって言ってたんだもの。

弟2人だし、子供も男2人だし、男ばっかりになっちゃったよー🥲
でも、私のこれからって、母に顔向け出来るかどうかが基準になってくるな。
母に対して恥ずかしい事は出来ないから、自分のやるべき事をやっていこうと思う。

あーーー、でもキツイな、気持ちがな。
たまらなく寂しいし、いつまでも慣れないな。
このnoteもボロボロボロボロ泣きながら書いてます。
でも忘れないうちに書けてよかった。

あと、運ばれたのが市立病院だったのだけど、先生や看護師さん達にとてもよくしていただいたのです。
公立の病院だから…という先入観があったけど、本当に本当に気遣っていただいて😭
正直、もう先が見えてる患者じゃないですか。
でも深夜も1時間おきに体位変更?してくださったり、ちょこちょこ声をかけてくださったり、亡くなった時は身体を綺麗にして髪の毛まで洗ってくれて、最後は先生を含めて6人で母を見送ってくださったり…
この病院で診てもらってよかったな✨と救われた気持ちになりました。

思いつくまま書いたけど、また続きがあるかもです😅

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