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【ケモノ界隈】スキルを身に着けて、頑張って努力しても不幸になるのはなぜか?
着ぐるみ制作、写真撮影、イラスト、漫画、ダンス、アイドル活動……
着ぐるみを手にした私達は、キャラクターを生かすために、ダンスやイラストを日頃から練習して、飛行機と高い宿を予約して日本中、いや世界中を飛び回ってイベントに行き、キャラを出して、良いカメラで撮影して、毎週のFursuitFridayの写真に悩む。
うまくいっているうちはとても幸せだ! 自分の理想の姿にどんどん近づけているし、友達は増えるし、いろんな人と一緒に活動できて楽しい。日本中の楽しい場所を巡り、イベントでは自分のスキルを活かして人を楽しませる。
うん、素晴らしいことだ。
あなたも、周りも、幸福なことだろう。
しかし、それも長くは続かない。貯金が底を尽いた。仕事が忙しい。物価が上がって、旅行に行けない。就職してからダンスを練習する時間がなくなった。なんだか、最近いいねもフォロワー数も伸びない。シャドウバンされた。
おまけに、新しく出てきた、もっとカワイイ子が爆発的に伸びていく。気づけば、タイムラインは古参の人と神絵師、そしてカワイくてセクシーな新人の子と、この前開催された招待制イベントの写真(もちろん自分は誘われてすらいない)と、他人の誕生日に贈られた山のようなAmazonの箱の画像
で埋まっている。
自然とイベントからは足が遠のき、写真も自然と上げなくなり、気づけばXで愚痴っている……
ストップ。
どうしてこうなってしまったんだろうか?
SNS時代で一番しんどいのは、他人から忘れられること
私達は良くも悪くも人間関係のつながりが数字で見えてしまう時代に生まれてしまった。誰々と誰々が楽しそうにしている、この人は私よりも10倍もフォロワーがいる、など。
こういうのを見て、一番しんどいのは、自分への反応が減っていく過程だ。
私達は、現実世界でのコミュニケーションに割く時間が大きく失われている。スマホに3~4時間、ティーンエイジャーなら5~6時間を費やしている※1。
アンデシュ・ハンセンが「ストレス脳」で書いているように、SNSは現実世界のコミュニケーションの代わりにはならない。しかし、Xはあたかもそれが現実世界のコミュニティと同等かのように思わせてしまう。
少なくとも、着ぐるみを手にしたのであれば、それを写真やイベントといった何らかの形で他人に見せるために作った、もしくは買った人が大半なのだと思う。なぜなら、着ぐるみは自分の外観を大きく変えるものであるから、誰かに見せて、もしくは写真に撮ってナンボだと考えている人が多いからだ。
あるいは、自分一人で満足するために作ったという人であっても、SNSを見ているうちに、他の人に見てもらいたいという欲求が生まれることが多い。
人に見せたいという欲求は、SNSの数字に毒されるうちに、次第にたくさんの人に見てもらいたい、返事が欲しい、コメントが欲しいという欲望に変わっていく。人は根本的にコミュニケーションを欲している生き物であるので、意識しなければ孤独に耐えられないようにできている。
現代人の数多くはコロナの感染拡大から2年近くが経った時点でも孤独を感じているという。その中でも、ケモノ界隈に統計的に多いであろう男性や若者※2は、特に孤独を感じやすい。(孤独を感じるのは決して男性に限った話ではないが)
2022年2月に日本在住の約3,000人を対象にした調査を実施した結果、4割近くの人が孤独感を抱えており、新型コロナの感染拡大から2年近くが経った時点においても、孤独感はほとんど減少してないことが明らかになりました。また、「若者・中年(20-59歳)の人」、「男性」、「(コロナ前と比較して)暮らし向きが悪くなった人」、そして「(個人的なことを話せる)友人が1人もいない人」が特に孤独感の高い傾向が強いことが明らかになりました。
特に、男性は2025年現在の社会では女性よりも競争を好む傾向がある。他者よりもSNSの数字や出世欲、承認欲求をより求めてしまう可能性がある。
デキる人は互いをリスペクトし、そうでない人は他人をディスって承認欲求を満たす
これは眉唾もので聞いて欲しいのではあるが、「承認格差」という言葉を岡田斗司夫は生み出している。
高い能力を持つ人同士は相手の良いところ、優れているところを互いをリスペクトすることで承認欲求が満たされる。しかし、そんな友達を持たない、そうでない人同士は、相手の自分より劣っているところをディスることで、もしくは「エリートが社会の闇を作り出しているんだ」とディスる(=陰謀論)ことで劣等感を埋め、承認欲求を満たす。
さすがに、この論はあまりにも承認欲求をデフォルメしすぎていて現実に即しているとは思えないが、誰しもがそういう節を少し感じることはあるのではないだろうか。
もちろん、誰しも機嫌が良ければ他の人をリスペクトしたり褒めたりするだろうし、機嫌が悪い日は他人が幸せそうにしているのがムカつくこともあるだろう。
これらは極端な例であって、現実は一人ひとり、違った寂しさや承認欲求を抱えていることに留意したい。
そもそも、他人をコントロールできると思うのが間違い
こうした話が何度も蒸し返されるのも、自分以外の能力のある人同士が楽しそうにしているのを見て、羨む人が少なくないからだろうと思う。
界隈でも凄い人たちって凄い人たち同士で集まるじゃん
— 犬縞 (@inusimahiro11) January 20, 2025
近寄れないよね
これちょっと思ってる
— ぐらんで (@grande_8823) January 20, 2025
それを思い始めたあたりから、みんなが「スキルが必要」とか「自身も何者かになりたい」みたいなのを呟き出したようにも感じてる
こればかりは、ある程度の人に人気が出ると一気に伸びるという、XというSNSの特性でもあるから、仕方のないことではある。
これは直接関係のあることではないけれど、相手が誰と遊んで楽しいと思うか、ということをコントロールできると思わないほうが良い。界隈のすごい人同士がつるんでいる(ように見える)本当の理由なんて誰にも分からない。それは、あなたの友達が、どのようにして仲良くなったのかをすぐに思い出せないのとよく似ている。
例えば、私がよく遊んでいる人についていくつか書いていこう。
A氏はイベントスタッフつながりで仲良くなったけれど、結局イベントスタッフの中でも特別仲良くなったきっかけは偶然仕事での関わりとか、雑談窓にいる時間がちょうど長くて一緒で話題も合ったとか、そういう偶然が重なったに過ぎない。
B氏はApexの無料コーチング募集で偶然出会って、そのままコラボしたあとに、すごく仲良くなった。C氏やD氏とも出会って、よくコラボする仲になっているけれど、なぜこの4人が特別仲良くなったのかは今でもよくわからない。
E氏は、はつじゅー会で偶然一緒になった同期だ。その時、ぼくが声を掛けていなければ、LINEグループを作っていなければ、その後同じスタッフをやって、趣味が合って、一緒に会わなければ、きっと仲良くなっていなかっただろう。
これを見てもわかる通り、私が今でも仲良くしてる人なんて、私にとってはほぼ偶然でしかない。すでに仲の良い人がいっぱいいる人にとっての、特別な友達になんてなろうとしてなれるものでもないし、そういうコミュニティに入れるかどうかは偶然に偶然が重なるものだ。◯◯さんと仲良くしてる……みたいなのをステータスに見る人って少なくないけど、そんなの「お互いのスキとコミュニティが重なった」ときに発生する偶然でしかない。
外野から見ていて疎外感を感じる……という気持ちはとてもわかる。そのために能力を磨いても、それが報われることが少ないというのも事実。もはや、一芸あるだけで目立てる時代は終わっている。
これはVTuberが全く特別でなくなったことにもよく似ている。着ぐるみを持っていることが特別だった時代はもう終わったのだ。
自分からコミュニティに飛び込んでいっても仲の良い人ができるかどうかはその時次第だし、どんなに頑張っても自分が持ってるカードで勝負するしかない。スキルとか、コミュニケーション力とか、あるに越したことはないけど、あったところで友達ができるかなんて分からない。
そうして、運悪くコミュニティから弾かれてしまった人がSNSで辛い思いをしているのだ。
どんなに頑張っても、見てもらえないかもしれない。
見てもらいたいという気持ちはわかるけど、見てもらえないことのほうがずっと多い。
私達はとてもシビアな世界に生きていて、SNSに投稿した瞬間に他人と比較されてしまう。
承認欲求を満たしたい、という気持ち自体は間違っていない。問題は、SNSの見すぎによって、もしくは人とのコミュニケーション不足によって、承認欲求のバケツの底に穴が空いてしまうことだ。
では、どうやって承認欲求を満たしたらいいだろうか?
承認欲求を満たす、健全な方法
今を一生懸命生きることができれば承認欲求なんてものは勝手に満たされるものなのだけど、この記事をここまで読んでくれている人はそうではないんだろうと思う。
なので、ケモノ界隈で役立ちそうな、いくつか私の知っている方法を紹介しておこう。
もちろんこれ以外にもたくさんある。アンデシュ・ハンセンの「ストレス脳」などにもヒントは書いてある。
(なお、うつ病や双極性障害、統合失調症などの人は、通院してちゃんと治療し、寛解あるいは病気とうまいこと付き合っていくのを目指すのが先だ。ASDやADHDなら、自分の特性を知ったうえでコミュニケーションの方法を学ぶのも必要だ。この記事の内容は専門的な治療ではないため、まずは主治医の指示に従うこと)
負の感情をエネルギーにして作品を作る(建設的だがリスクあり)
リアルでのコミュニケーションを取る(最も手軽に満たせる方法)
散歩や軽い運動をする
瞑想などで孤独耐性をつける(バケツが空でも気にしない)
スマホ断ち、SNS断ちする(バケツの穴を塞ぐ)
ほめてもらう(サービスを使う)
負の感情をエネルギーにして作品を作る
承認欲求をバネにして良い作品を作れるのなら良い発散方法なのかもしれないけれど、ほんの一部の人しかうまくいかない方法であることは気に留めておいてほしい。決して、無理はしないでほしい。
リアルでのコミュニケーションを取る
一番良い方法は、リアルで日常的にコミュニケーションを取れる相手を見つけることではある。人と会うたびに、SNSから自分を正気に戻してくれるからだ。
だけど、コロナ禍を過ぎた今、経済的に苦しい人が多い今、みんながみんな友達と会うことにコストを割いていられなくなっていることは確かだ。
散歩や軽い運動をする
代わりに、散歩などでも良い。運動はある程度気分のリフレッシュにつながる。
瞑想などで孤独耐性をつける
孤独を気にしない訓練をするのも良い方法だ。瞑想をしてもいい。一人であることに耐える訓練をすることで、次第にSNSを見る時間を減らしていける。
スマホ断ち、SNS断ちをする
スマホ断ちとかも、できるのならすごく良い方法だと思う。私はXアプリはアンインストールして、あえて不便なブラウザからしか使わないようにしている。
ほめてもらう
あとは、もうほめてもらうサービスを使っちゃうっていうのも手だ。誰からもほめてもらえてない……と感じてもらうなら、もうリアルでほめてもらうのが手っ取り早い。
私はもともと逃げBarという社会の「逃げ場」を提供するバーの一日店長を1月までやっていた。だから、こういう生きていこうという心のセーフティネットとして、逃げBarやOzone荘のメンバーが役に立つことを知っている。
ぼくはサカキさんがありえないほど褒め上手なのを知っているので、もうSNSでメンタルがヘロヘロの人は、一度でいいからクラウドギフティングで「とても褒める」を体験してみてほしい。
ちなみに、ぼくには一円も入りません。
負のエネルギーにとらわれないために
負の感情に巻き込まれて、SNSに愚痴を書き込む前に、他の人に意見する前に、一度考えてみてほしい。
SNSに、承認欲求に、ディスりたい欲求に、心を支配されてはいないだろうか?きっと、Xを見ていなければこんなことにはなっていないんじゃないだろうか?
残念ながら、あなたのメンタルケアは、あなたが自分でするしかない。
急に周りから褒められて、そうだねと共感してもらって、バズって、すごいすごいと言ってもらえることなんてないのだ。
相手を褒めること自体に、言い換えればギブすること自体に、喜びを感じられるのが一番健全ではある(たとえ返事がなかったとしても)
そういう心の持ちようになれるかどうかは、もう考え方次第でしかない。
くらい世の中に思えるかもしれない。
辛く、苦しいかもしれないけれど、少しずつ前を向いて生きていきましょう。
※1 アンデシュ・ハンセン「ストレス脳」新潮新書, 146P.
※2 2025/02/14現在のはつじゅー会参加希望コメントを雑に集計した結果、男性が約306人、女性が26人となっている。およそ、男女比で12:1となる。正規表現による概算のため、正しく集計したわけではないことに注意。
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