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「やり切った」と手放すために。最後の20代の始まりを迎えて思うこと

2024年10月23日(水)
とうとう、いや、待ちに待った、29歳になった。

ハッピーバースデー自分。せっかくなので朝から好きなケーキ屋さんにケーキを買いに行き、仕事の合間に食べた。

なんだかんだでショートケーキが一番好き

今週は週末から東京に行く予定があるので、今とにかく仕事が忙しい。

今はやっと休憩ができた14時45分。すぐにでも仕事に戻って始めたい作業があるけれど、ケーキを食べているときに「noteを書こう」と思ってしまった。

いつもなら「また今度にすればいい」と後回しにしてしまうことも、今日はせっかくの誕生日だから「思ったことを優先する」を自分への誕生日プレゼントという名の言い訳にして、書きたいことを書いてみようと思う。

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もうずっと前のことなのに、鮮明に覚えている景色がある。

今から14年前の秋、15歳の中学3年生だった私は、ザ50回転ズのライブを観に行くために大学のキャンパスに初めて足を踏み入れた。

ワイワイと楽しそうにする大学生たち(といっても当時の私からみれば大人)を横目に、学際にやってくる黒猫チェルシーやアベンズを見るための列に並んでいたとき「これから自分が歩んでいく未来にはこんな景色があるのだろうか…」なんてことをぼんやりと考えながら、屋台にいる人たちを眺めていた。

だけど、そこにワクワクするような感覚もなければ、キラキラした未来が自分の人生に続いているとは思えなくて、ただ楽しそうな大学生を見つめている時間に感じたのは「なりたくても、あんな感じにはなれないんだろうな」という疎外感にも近かったように思う。

当時の私といえば、休みがちだった中学2年生の日々を終えて、クラスメイトに恵まれた中学3年生の毎日をなんとか積み重ねているような状態だった。

そして、ほぼ毎週のようにbaseよしもとに行っては、笑友(わらとも)とウェンディーズに行ったり、プリクラを撮ったりしながら、自分の人生のことよりも、「応援しているコンビがtryメンバーからプチメンバーになればいいな」と思うような日々を送っていた。

楽しかったといえば、きっと楽しかったと思う。でも、先のことなんて考える余裕はなくて、ただ目の前にやってくる日々を目一杯生きているような感じだった。

だから、屋台でワイワイと楽しそうにしている大学生たちを見て感じるのは疎外感だったのかもしれない。

そんなことを考え始めると、胸が苦しくなりそうだったので咄嗟に目を逸らすと、ふと列の前方に並んでいる人たちが目に入ってきた。黒の革ジャンを着て、手にはビールを持っている。推定30代ぐらいだろうか。

多分同じライブに行く人なんだろうけど、誰よりも楽しそうに見えた。そんな彼らをみたとき、とても素直に「いいな、あんなふうになりたいな」と思った。

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楽しみにしていたライブが始まって、黒猫チェルシーとアベンズを前方で楽しんだあと、「ちょっと疲れたから50回転ズは後ろから見てみようかな」と体育館の後方に移動をすると、さっき目に入った人の姿が視界に入った。

待ちに待った50回転ズのライブが始まって、これまでに感じたことのないビリビリした衝撃に茫然としていたとき、ふと目に入ってきたのはまたあの人たちだった。

それはそれは自由で、肩を組みながら楽しそうに踊っている彼らにまた「いいな」と思った。

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そこからのことはあまり詳しく覚えていないし、なんでそうなったのかも分からないけど、気が付いたら革ジャンを着ていた人と肩を組んで一緒に歌っていた。

一番思い出したい過程の部分が全くを持って思い出せない。だけど、体育館の床にひかれたブルーシートを足で踏む感覚。革ジャンのゴツゴツした触り心地。そして多分人生で初めて間近で嗅いだビールの匂いがなんともいえなくて……。

でも、ただただ楽しかったことだけはすごくハッキリと覚えている。

11月の寒空の下、ちょっと冷えた身体でホクホクした気持ちを抱えながら帰りの電車を待っているとき、「あんな大人になれたらいいな」と改めて思ったのだった。

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あれから15年の月日が流れて、29歳の誕生日を迎えた今日、「あのとき出会った人たちの年齢に近づいてきた」と思うと嬉しくなった。

「やっとここまできたか…」という気持ちの奥底を覗いてみても「やっぱり20代が終わるのは寂しい」という気持ちはとくになさそうだったので少し安心する。

それだけあのとき見た楽しそうな大人のイメージは今でも鮮明に頭と心の中にあって、ずっと私の指針になっているのだと思う。

ここまで、苦しいことや理不尽なこ、たくさんの壁にぶつかる機会もあったけど、それでも当時感じた「あんな風になりたい」という気持ちだけはずっと色褪せることはなくて、こうして今「大人になること」を楽しみにできているのが本当に嬉しい。

私の永遠の夢は「あの時みた、楽しそうな大人になること」であり、これだけはずっと変わらないのだと思う。

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ここ最近は、友人と会うたび「最後の20代」と口にする機会が増えて、私自身にもこの1年が重要という認識はあって、「29歳の間に着実にクリアしたい」と思うことがいくつかでてきた。

ある意味誰よりも「最後の20代」に対してこだわりを持っているのかもしれない。

でもこれは「20代だからしなきゃいけない」というネガティブな感情や、執着ではなくて、「20代をやり切ったから待ちに待った次に進めるぞ」と、サクッと20代を手放すための準備のようなものだから、かなり前向きな気がしている。

とはいえ、実際来年の今、30歳を迎えたとき「20代が終わってしまった」と絶望するのであれば、それはそれで面白いなとも思うし、そのときは「終わらせたくなかった20代」と向き合って軌道修正を考えよう。

正直今の私からすれば、全くをもってそうなることは想像できないけど、いつかこのnoteを振り返ったときに「何も分かってない!20代が最強に決まっている」と嘆くような人生だけは送りたくないなとも思う。

だけど、これから先、目一杯楽しみながら人生を歩んだ先に「手離したくない」と思える年代があるのは、それはそれで素敵なことじゃないかとも思うし、もしそれが20代であるのなら、必死に生きてきたこの日々を早い段階でまるごと受け入れられそうな気もしている。

自分であることへのこだわりが人一倍強くて、生きることや、死ぬことを日々模索するような人生を送るなかで「終わらせたくない」という感情がやってくるのは、「生きる流れにあらがっているみたいでかっこいいな」とすら感じてしまう。

やっぱり私は、それだけ人生に対して「止めることができないもの」という認識を抱いているのだろう。だからこそ、もしいつか「戻したい」と思えるものに出会えるのなら、きっと私のことだから、相当力を入れたり、愛情をこめたりした何かと出会えた証拠なんだと思う。

だからこの1年は、流れに身を任せながらも、楽しみにしていた30代に向けて着実に手に入れたいものを掴んでいく貪欲すぎる1年にしたい。

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「誕生日だから」という理由で思い切ってnoteを書き始めてみて、ふと「過去に誕生日にnoteを書いたことはあったのだろうか」と振り返ってみると、5年前にnoteを書いていた。

2019年10月23日。

24歳になったばかりの私は24年歩んだ人生のなかで、一番の希望を抱いているタイミングだったと思う。自分の手で初めて叶えられそうな夢があって、2週間後にはこれまた初めての一人暮らしが待っていた。それも住んでみたかった金沢での暮らし。

「やっと自分で叶えられる。あともう少しだ」とウキウキしていたであろう気持ちも、5年経てば忘れてしまう。

そんな状況は一見悲しくも思えるけど、たぶんこの5年で当時のワクワクを超えられる感情にたくさん出会い、上書きできているからこそ、忘れてもよくなったんだろうなと思うことができた。

メガラテと28歳の私

来年の今日、同じようにnoteを書こうと思う。

そのときにこのnoteを振り返りながら「やっと来たよ30代」と言えるのか、それとも「やっぱり手放したくなかった20代」と思うのかは今の私には分からないけど、「やり切った」と20代を手放せるように、とにかく我武者羅に生きていこうと思う。

さて、週末からはずっと楽しみにしていた東京滞在が始まる。
目的はなんといっても、7年ぶりのサンボマスターの武道館公演。

いや~本当に楽しみだな。


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響あづ妙
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