金沢移住一週間前に、仕事を失った話。
10月31日。待ちに待った移住の前日がやってきた。「明日からはじまる金沢での暮らしが楽しみ…」なんてnoteを移住前日に書こうとあらかじめ決めていたぐらい、毎日は平凡に進んでいた。でも、人生は山あり、谷あり…山よりも圧倒的に谷の人生を歩んできた私の「夢の移住」は、やっぱりそう簡単には始まってくれなかった。
ちょうど1週間前の24日の夜は、専門学校時代の友人とご飯に行っていた。「来週は金沢の家にいるなんて考えられない」なんて話をして、「金沢に遊びに来てね」とサヨナラを告げた帰り道にスマホを見ると、チャットワークにメッセージが入っていた。送り先は、かれこれ2年ほどお世話になっていたメディアの担当者の方だった。曜日的に発注の連絡かと思いメッセージを開封すると、まず目に入ったのが「申し訳ございません」の文字。いつもよりはるかに長いメッセージに書かれていたのは、予想をしていた金沢での暮らしを遥かに変えてしまう「契約変更」のメッセージだった。
さっきまで飲んでいたスパークリングワインも、誕生日だから食べた美味しい料理も全部電車の中で吐き出してしまいそうになりながら、「夢じゃないか?」とふわふわした感覚になり「酔っているだけなら幸せだな」なんて思いながら、トボトボと駅を歩く。こういう時でも自分はまっすぐ電車の乗り換えができるし、普通に自宅の最寄り駅にまですんなりとたどり着けてしまう。可愛げが無いところを何故か反省して、最寄り駅に着いてとりあえず母に電話をしてみると、涙が溢れてきた。やっぱり不安だったんだ。
「クビ」ではない通告は、自分が働く世界の残酷さを教えてくれ、「いつか来ると思っていた日」が、なんとも残酷に、移住一週間前にやってきたのだった。
雨上がりで空気が澄んだ肌寒い空の下、ちょっと濡れたベンチに座りながら物思いにふけると、「エモい感じ」を出せたと思うけど、そんなことはせず、「まずは家に帰ろう」と、タクシーに乗り込み、そそくさと帰宅をした。
家に着くと、突然脱力感や不安が一気に襲ってきて、靴を脱ぐ気にもなれなくて、玄関に腰を下ろしてボーッとしていると色んなことを思いだした。
いつもは玄関に座らずに適当に履く靴。学校に行きたくない時は、ゆっくり時間をかけて履いて、わざと靴紐を強く結びなおして…またほどいて、そしてお腹が痛くなって泣いて…。
アルバイトに行きたくなかったあの日もそうだ。泣きながら靴紐を結んで、またほどいての繰り返し。私が玄関に腰をかけるときは、いつも辛い時間だった。
昨日24歳を迎えた24日の夜。楽しかったはずの友達との時間なんて忘れてしまい、ただ脱力感や無力さを感じ、出てくる涙を流する時間を過ごした。
気持ちが少し落ち着いたタイミングで台所に行く。「理由」や「全貌」を詮索してこない母の「おかえり~」だけの一言が温かくも重たくて、今年中の涙が全部出たんじゃないか…と思うぐらいに泣いた。
どうしてこんなに泣いたのかは分からないけど来週にまで迫っていた叶えられるはずの夢が、一気に崩れ去ったから。大事なことほど、目の前で失うあの感覚が心を襲って、「もうどうでもいいや」という気持ちすら生んでいた。
あれだけ楽しみにしていて、本当にあと一歩のところまで来ていた金沢が一気に遠くなった気がした。
ただ、今回は諦めなかった。あの時に感じた「暮らしたい」思いはやっぱり本物で、どうすれば暮らせるのか、そして、今起きている現状を前向きに捉えるようにした。
自分でも驚いたのが、それほどのポジティブ思考になれるまでにかかった時間は半日程度で、次の日の朝には「よし、やるぞ」と前向きになっていたこと。
やりたいことや、向き合いたいことを書くと長くなってしまいそうなので、とりあえず一旦ここで今日はおしまい。
ここからは、先週起きた出来事を少し詳しく、そして感じた気持ちを忘れないために書くので、有料にします。
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