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サッカー選手の英語の先生【僕がブンデスリーガでコーチになるまで #4】

自分がまだ学生だった頃、作り込んだ英語での自己紹介を自信満々に引き下げて、ドイツに乗り込んだことを鮮明に覚えてる。自己紹介の作り込みは、言語が変われど今も変わらない。少なくとも自分がいるドイツでは、初対面の人には決まってこう聞かれる。「ドイツで何をしてるの?」 と。それに対してはこう答える。“Ich bin Englischlehrer für japanische Fußballspieler. Das ist meine Arbeit.” そうすると、「もっと聞かせて」と喰いついてくれる。


職業は、サッカー選手の英語の先生。

インパクトは抜群だ。UNTRACEという英語コーチングサービスを立ち上げて1年が経とうとしてる。Hannover96での通訳の原体験が、「サッカー選手の英語の先生」って唯一無二の職業を作り出すとは思いもしていなかったけれど、最近はそこに運命を感じる。英語が好きだったのも、通訳の仕事に巡り合えたのも、大学で言語学を専攻していたことも、サッカーコーチとして成り上がろうとしていることでさえも、すべては偶然なんかじゃなくて必然。自分の意思によってなるべくしてなったのだと。この世にcoincidence(偶然)なんて存在していなくて、すべてはwiipower(自分の意思)によって必然的に導かれるものだと思うようになった。でないと自分の人生なんて説明がつかない。これが人生の基本、引き寄せの法則っす。

原体験の話をしようか。詳しくはこちらを。

通訳を担当していた選手は、チームに合流した当初、ドイツ語はおろか英語も全く話せなかった。ある日の練習中、彼はコーチからの英語での指示に対し、親指を立てて理解を示した。理解できたなら通訳は介入する必要がないと思い訳さなかったが、指示に対しての改善が一向に見られず、痺れを切らしたコーチが自分に確認を求めた。話を聞くと、やはり理解していなかったらしいのだが、驚くべきことはその後。「短い横パスを通させるな」というコーチからの指示を理解し、彼は一本もそのパスを通させなかった。練習後、コーチにはこう言われた。


「『言語ができないからうまくプレーできない』は通用しないんだ。言語が出来ようと出来なかろうと、俺らの中に残るのは「できる選手」か「できない選手」かのどちらかだけなんだ。」

彼は今、持ち前の勢いとキャラクターで、チームの中心としていなくてはならない存在になった。単純にすげえ。ただ、この経験で腑に落ちた。だからJリーグであんなに活躍していた選手が、海外では酷い扱いを受けて数年で日本に帰ってくるのかと。その要因の全てが言語であるとは言わないが、大部分を占めているのは火を見るより明らかだ。日本人であれば「言語の壁」には絶対にぶつかる。それに気づいて真剣に語学を習得しようとするか、自分の領域ではないとハナから諦めるのか。UNTRACEはどちらの味方でもありたい。だって言語は話せた方が絶対に良いのだから。実際にその環境に入って肌で感じたからこそ、立場は違えど同じ舞台を目指しているからこそ、自分にしかできない仕事が「サッカー選手の英語の先生」だと思ってる。片手間なんかじゃないよ。100人いたら100通りの学習法があって、100通りの成長曲線があって、100通りの未来があるからこそ、一人一人に真剣に向き合って、結果で証明したい。

2024年はUNTRACEをゼロから作り上げてようやく形になったけど、2025年は1年のサイクルを回した結果が現れる勝負の年になる。まだ、受講してくれてる選手全員にとって、そしてこれから受講する選手全員にとって、最善のものを届けられているとは思っていない。もっと改善の余地があるし、もっと成長の余地がある。英語が話せるサッカー選手を当たり前に。圧倒的な結果を出すサッカー選手の英語の先生を、2025年は目指します。

そして選手の皆さんには少しメッセージを。まだ何者でもなかった自分を信じ、頼ってくれて本当にありがとう。こちらが与える側のはずだったのに、みんなの頑張りにどれだけの勇気と希望をもらったかわかりません。そして、日々の学習を通して成長していくみんなの姿が、やりがいであり、生きがいです。時に英語学習は退屈で、地道で、なかなか成長を感じられないかもしれません。ただ、やり続ければ絶対に結果は出ます。しがみつくこと。サッカー選手になった時と同じように、苦しくてもしがみついてください。宣言した通り、圧倒的な結果を出すサッカー選手の英語の先生として、必ず英語を身に付けて送り出します。

さあ、2025年を飛躍の年に。日本中を、いや世界中を驚かせてやりましょう。

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