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肩の力を抜け 【僕がブンデスリーガでコーチになるまで #3】
あれ、#2は?って思ったあなたへ、今すぐに僕と結婚してください。女の子の些細な変化に気づける男はモテると巷ではよく言われますが、その気持ちがよくわかります。
実は、#2を少し前に書き上げましたが、これは自分の中に収めておこうと思い、世には出さないことにしました。自分のために綴っているのだから、自分の中で昇華するNoteがあってもいいんじゃないかと、そう思った次第です。
さて、2024年も残すところあと数週間になり、ドイツでの1年目が半分終わり、酸いも甘いも得られることを期待していましたが、得られたのは酸いと酸いと酸いでした。でも、それで良いんです。うまく行ってるのか、うまく行っていないのかもわからない人ばかりのこの世の中で、声を大にして「全然うまくいかねえわ!」って言えること自体、とっても素敵なことじゃないでしょうか?
そして、酸いばかりを経験したからこそ、何があろうと絶対にドイツにしがみついてやろうと強く決心したのが最近のお話。(まだまだ覚悟が甘かった…)もう一つの変化としては、目が覚めている限り、ずーーーっと感じていた「焦り」が消えました。これが良い変化なのか、悪い変化なのかは後からわかることですが、今この瞬間に限って言えば、間違いなくいい変化です。
「肩の力を抜け」
ドイツに来て出会ったほとんど全ての人に言われてきた言葉です。本当にみんなに言われました… ただ、最初はこの言葉の意味が全くわかりませんでした。このバカみたいに忙殺されてる生活の中でどうやって肩の力抜くねん!1回俺の生活経験してみろ!気安くそんなこと言ってくんな!、とさえ思ったかもしれません。ただ、肩の力が抜けた今ならわかります。
少なくとも今の自分にとっては、肩の力を抜くことは決して悪いことなんかではなくて、むしろとてつもなく必要なことなんだと。今までの自分は、かなり生き急いでいた方だと思います。これが時に良く、時に悪くも働くのですが、今回は悪い方に働いてしまいました。なんとか早く結果を残したい、成功を収めたいと願う一方で、その見えないプレッシャーに押しつぶされるように、自分のやっていることに疑念を抱くことが増えました。苦節や葛藤で傷つきすぎたからでしょうか、これは自分のやりたいことなのか?と。
ただ、やり続けました。辞めたいと思うことは幾度となくあれど、辞めることは絶対にありませんでした。これからも途中で投げ出すことは絶対にありません。その結果、今回は「肩の力を抜く」ということを学びました。
肩肘を張り続けて物事に取り組むことは、かえって効率を悪くしてしまうこと。スピード感は重要で、物事を最速で進めるスタンスに変わりはないけれど、焦ったり急いだりすると、求めるスピード感からはほど遠くなってしまうこと。今すぐに実現したいことがあったとしても、自分の努力だけでは解決できないことがあって、時に膨大な時間をかける必要があるということ。その時に、焦ったり急いだりせず、ドシっと構えて、地に根を張って、日々少しだけ積み上げる。辞めたいと思ってもあと少し踏ん張る。これが物事を最速で進めるコツだと学びました。
それまでは踏んだり蹴ったりのクソみたいな生活でしたが、それに気付いてからは物事がジワジワと好転し、状況が大きく変わりました。疑念を持ちながらも、言われた通り肩の力を抜いてみただけです。時に立ち止まって深呼吸をするようになっただけです。変えられないものに抗おうとせず、「こんなもんだ」と受け入れるようになっただけです。やり続けたからこそ、相反しているように感じていた「肩の力を抜くこと」と「スピード感」は、実は相反するものではなく、むしろ両立するものだと学びました。自分はまだまだ未熟です。だからこそ、向き合うべきものから目を逸らさずに向き合い、思考し、アクションを起こし、反省し、少しずつ学んで大きくなります。もしかしたら、追い求める理想まであと少しのところまで来ているかもしれませんね。
あと、ちょっと前にホームレスに襲われました。ドイツって最高ですね。ドイツからは以上です。