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東海道57次マラニック③ ~「24.金谷宿」-「41.宮宿」~(2022/04/18)

こんにちわ、岩野です。東海道57次マラニック3回目です。今回は金谷宿から宮宿まで、静岡県、愛知県を西に走ります。

<24.金谷宿~25.日坂宿~26.掛川宿>
金谷宿から金谷坂の石畳、菊川坂の石畳や茶畑を横目に走り、小夜の中山という峠を登って日坂宿に抜けていきます。菊川ではおそらく茶畑で「茶」と書かれた山を見つけました。
(写真1)
その後、緩やかな下り坂を下り、平坦な道をひたすら走って掛川宿につきました。掛川宿では寄り道として、掛川城に行きました。現在の天守は再建されたものだそうですが、お城は非常に美しい形の外観でした。また、天守閣からの眺めはとてもよかったです。
(写真2)

<掛川~27.袋井宿~28.見付宿~29.浜松宿>
掛川宿から原野谷川近くの道や松並木を過ぎて袋井宿まできました。袋井宿は品川宿から27番目、53次であればちょうど真ん中の宿になります。その後は磐田駅付近にある見附宿へ抜けました。京都方面から東へ向かう旅人が、はじめて富士山を目にしたことから「見附」と名付けられたそうです。見附宿では、地元(静岡)では有名な佐鳴予備校の校舎が、非常に風情のある佇まいで建っていました。
(写真3)
見附宿を通貨した後は、天竜川を渡り、浜松宿につきました。浜松宿では、浜松城を散策したり、浜松餃子定食で腹ごしらえをしました。
(写真4))

<浜松宿~30.舞阪宿~31.新居宿~32.白洲賀宿~33.二川宿~34.吉田宿>
浜松宿からは少し南下し、舞阪の松並木を抜けて、舞阪宿につきました。
(写真5)
ここからは当時は「今切の渡し」を船で渡っていましたと思いますが、現在では弁天島の埋め立て地を通って渡り、新居宿に着きました。新居宿からは少し南下し、潮見坂を登って、白州賀宿に着きました。潮見坂では東海道屈指の景勝地として遠州灘を眺めることができました。その後二川宿を通過し、吉田宿(豊橋)に着きました。吉田宿では、「ステーキハウス・ブロンコビリー」でハンバーグで腹ごしらえです。(昔大学在学中にアルバイトしていました)

<吉田宿~35.御油宿~36.赤坂宿~37.藤川宿~38.岡崎宿~39.池鯉鮒宿~40.鳴海宿~41.宮宿>
ここからは御油宿、赤坂宿、藤川宿と通り抜けます。所々に松並木があり、東海道を走る醍醐味をとても感じました。次は岡崎宿です。岡崎宿では岡崎城二十七曲りを通りました。外敵と城までの距離を長くし、守る側は間道を利用して防衛できるように城下の東海道を曲がり道の多い道に造ったそうです。
(写真6)
その次は池鯉鮒宿です。今は知立と書きますが、当時は町の入り口に御手洗池と呼ばれる大きな池があり、鯉や鮒が多くいたそうで、宿場町に人を呼ぶために地名の由来となったそうです。当時も人を集めるために必死だったのですね。
その後鳴海宿を通り抜け、名古屋の宮宿に着きました。宮とは熱田神宮の宮のことだそうです。当時はここから「七里の渡し場」にて海路にて三重県の桑名まで渡ったそうです。私の方は、電車で桑名まで向かいます。
(写真7)

今回は所々にある松並木を走り抜け、浜名湖を渡り、海を眺める等、様々な景色を感じながら走ることができました。
次回は最終章、ゴールの京都や大阪までをつづっていきます。




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