不思議な小噺 第一夜 「お遍路さん」
私の故郷は、四国である。
県境に近い実家から車で15分ほどゆけば、四国八十八ヶ所の最終霊場である
第88番札所、大窪寺がある。
そこは、長い遍路修行が終わり、祈願が満ちる
結願所(けちがんじょ)といわれている。
ゆえに、お遍路さんは子供の頃からよく見かけていた。
田園の中をチリン。。。チリン。。。と鈴を鳴らしながら、
白衣(びゃくえ)と呼ばれる世俗を離れた白装束と笠姿で
己の足だけでお寺を目指して歩くお遍路さんには、一種の畏敬を感じていた。
すれ違うと誰にいわれるでもなく、こちらから挨拶していた。
そして、お遍路さんにまつわる昔話も祖父から聞いていた。
今は観光のような朗らかな印象が強いが、
昔は「お遍路さん」というと、修行や信仰のほかに、もう一方の仄暗い意味合いもあった。
なにか現世でさまざまな傷を負って、苦しくて苦しくて願をかけるかのように巡っていた人たちや、
果ては自分の名前を消すかのように、現世から隠れ逃げていた人たちが、お遍路さんとなって廻っていた。
(映画の「砂の器」のイメージだろうか。。。)
行き倒れのような人もいて、
祖父自身、戦後に道で息絶えた身よりのないお遍路さんをみつけ、弔ったことがある。
また、祖父が子供の頃には、
お祭りの日には、参道にお遍路姿をした、たくさんのハンセン氏病患者の方たちがずらりと横一列に並んでござに座り、施無畏印を結び、施しを待っていた。
祭りの喧騒の中で、誰も話すことはせず、ただひたすらじい。。。っと
物哀しい面持ちで印を結んで座っていた彼らの光景は、忘れられないと言っていた。
そういう時代があったのだ。
祖父から昔の話を聞く度に、目を閉じた皺深い苦悶の表情を浮かべたお遍路さんの情景を思い浮かべ夢想していた。
その人たちは、一体どういう事情で四国に流れ、何処へいったのだろう。。。。
などと子供ながらに途方もない気持ちになるのだった。
小学校の帰り道に日がささない暗い林があった。
一人でそこを通っている時に
こういう場所にもしお遍路さんが出たらどうだろう。。。
などとよく夢想した。
例えば、お遍路中のお坊さんと女学生がこんな暗い林の中ですれ違い、
禁欲中だったお坊さんは女学生の色気に一気に発情してしまう。
堪えきれなくなり、とうとう彼女と淫らな行為を。。。
などといったふざけたエロチックな空想を、漫画家志望だった私は
マンガのコマで思い浮かべ、背徳感を感じつつ心の中で舌なめずりしながら
てくてくと歩いて帰っていた。
その林には、ねむの木がひっそりとはえていたのを覚えている。
そしてその林道は、いつも帰っている学校の道ではなく、
決まってわたしがお遍路さんやお坊さんが主人公で、ふしだらな空想をするときに、帰る道であった。
いつも暗くて誰も歩いているものがいなかったが、
別になにが起こることもなかった。
大人になって、祖父が亡くなった。
お葬式の日に、祖父自身が所蔵していた
お遍路姿の笈揩(おいづる)と呼ばれる袖なしの
南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)と各寺の御朱印がかかれた白衣を、わたしが旅立つ祖父にかぶせた。
祖父にかわり、父に地域のことを話してもらうようになった。
帰省したある日、
「なあなあ、なんかお父さんが経験した、怖い話ない❓」
と、土俗的な怪談に好奇心が向いてしまう私は父にたずねてみた。
「ううーん、別になんちゃないなあ。。。。
ないけれども、爺さんから聞いた話はゾクゾクっとしたわ〜」
と、話してくれた内容が、お遍路さんを襲う話であった。
祖父が子供の頃のことなのか、それとももっともっと昔のことなのかはわからない。
日暮にあるお宅にお遍路さんが訪れ、泊めて欲しいと頼んだ。
ご主人は招き入れたが、夜、そのお遍路さんを殺してしまった。
わたしの村で昔、本当にあった話だそうな。
父は祖父から
「ずいぶん前の話やけど、あまり人に言われんよ」と注意されて話してもらい、
わたしも父から「詳しい場所は人に言うたらあかんよ」と言われた。
なので、特定の場所はここでも言えない。
金品目的なのかどうかはわからないが、その話をきいて、
「お遍路さん襲っても大金は持ってないんちゃうんかな。。。」と私はぼんやりと思ってしまった。
それに、結願所を前に殺されたのでは、お遍路さんもたまったものではない。
翌日歩けば結願だったのに、さぞ無念だったであろう。
「実際、殺された場所がな。。。」
と父が教えてくれた。
その場所が
なんと、私がいつもふしだらな空想をしていた林道であった。
「あそこ。。。」と父に教えられた時は、
1人でてくてくとアホな空想をして帰っていた場所が、
実は怖い場所だった、ということにゾクっとしつつも、
お遍路さんを汚してしまったような気持ちにもなり、なんとも申し訳ない心持ちだった。
あなたが住んできた田舎は、どういうところだったろうか。
私の田舎は「あの世」と通じる場所が点々と残っていた。
たくさんの墜落事故を出してお地蔵さんがずらりと並んでいる場所や、
子供が流された芒や葦、蟇が鬱蒼とはえていた川。
湿った神社のそばの、異界に通じているかのような切り通しの沢。
江戸期から時が止まったかのように、田園に佇んでいる黒い廃屋、
山姥の家といっていた、芒まみれの廃屋。
鯰がとれる川に立て掛けられていた、
「遊ばれんよ」と気持ち悪い真っ黒の河童の絵で描かれた看板。
祖父が最後の踊り手だった、山神に奉納する「じょうれい踊り」という、
特異な精霊踊り。。。
こういった風景は、土地開発などなく、戦時中に爆撃機に狙われる場所でもなく、昔の光景そのままが残っている辺鄙な田舎では、多く見受けられたかもしれない。
80〜90年代、昭和と平成の狭間にバブル期真っ盛りのアニメとトレンディドラマでキラキラしていた日常があった一方で、ずうっと昔からひそんでいるあの世との狭間がそこかしこでぽっかり黒い口をあけて存在していた。
我々子供はその黒い口の前を通り過ぎたり、時に嵌ったりしつつも、
その土地にまつわる気配と視線を常に身体に纏って過ごしていた。
だからこそ、子供心に思ったものだ。
ああ、ひとつ間違えると、すぐにあちら側にいってしまうと。。。
終
第二夜はこちらです。